ABBAのアメリカでのシングルチャートのキャリアは、浮き沈みがあり、他の多くの国々で彼らが味わったような止められない成功はなかった。例えばイギリスでは、スウェーデンのポップ・マエストロは合計19曲のトップ10ヒットを記録し、そのうち9曲がNo.1であった。アメリカでは、トップ10入りは4曲で、そのうち1曲がチャート上位に入っただけでした。その曲は、不朽の名曲「ダンシング・クイーン」で、1977年4月9日、壮大な道のりを経て、トップに輝いた。この曲は、ABBAにとって、まさに決定的な曲の1つとなった。
その週、アメリカの観客はロッド・スチュワートに魅了された。彼は「今夜きめよう(Tonight’s The Night」(Gonna Be Alright)でチャート上位を維持し、すでに5週目に入り、新年には8週目まで伸びることになった。トップ10に入ったのは、やはりイギリス人のレオ・セイヤーの「恋の魔法使い(You Make Me Feel Like Dancing)」であった。
1976年12月11日、ABBAは、神聖な100曲に新たに加わった仲間たちの中で、かなり良い仲間に恵まれていた。バーブラ・ストライサンドは「スター誕生のテーマ(Love Theme From ‘A Star Is Born’ )」(Evergreen)で、ボブ・シーガーは「ナイト・ムーブス(Night Moves)」で、スティーブン・ビショップは「雨の日の恋(Save It For A Rainy Day)」で登場した。ABBAの曲は、アメリカで上昇を始めた頃には、すでに世界各地でスマッシュを記録していた。1976年9月と10月にイギリスのチャートでトップに立ったが、Hot 100での上昇はゆっくりとしたものであった。
★No.1への道
このシングルはトップ40に入るのに7週間、トップ10に入るのに12週間かかり、そのころにはストリーザンドのシングルが頂点を極めようとしていた。それでも「ダンシング・クイーン」は紆余曲折を経て、4月上旬、デビューから4ヵ月後の18週目に、ダリル・ホール&ジョン・オーツの「リッチ・ガール(Rich Girl)」を抑えてついに1位となる。この曲は後にゴールドになりました。
1978年にもゴールド認定のトップテン「テイク・ア・チャンス」があったが、ABBAがアメリカのベストセラーの上位に入ることは二度となかった。1981年の早い時期に「ザ・ウィナー」で最後の全米トップ10入りを果たしている。
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