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25年前:ABBAが10億ドルの再結成オファーを拒否

ABBAはかつて1976年の楽曲「マネー、マネー、マネー」で富について歌いました:
「少しのお金があればできることはたくさんある / それは金持ちの世界」

2000年、ABBAは巨額のオファー――正確には10億ドル――を再結成の対価として提示されました。
これはメンバー1人あたり約2億5000万ドルに相当しましたが、グループはこれをきっぱりと拒否しました。

ABBAが最後にライブパフォーマンスを行なったのは1982年。その時点で、メンバーたちはそれが「終わりの時」だと感じていました。

「私たち4人で小さな会社を持っていたんです」と、ベニーは2021年に『ガーディアン』紙に語りました。
「ABBAが稼いだものはすべてその会社に入り、誰が何をしたかにかかわらず4人で均等に分けていました。そして、ある日『これでおしまいだ、みんな。少し別のことをやって、その後また2年くらいしたら戻ってくるかもしれない』と言った時、それで終わりでした。会社も売却しました。ABBAが続くとは思ってもみませんでした、これは断言できますよ」。

しかし、それがABBAの名前が完全に世間から消えたという意味ではありませんでした。
カバーバンドが成功を収め、映画が彼らの音楽を使用し、『ABBA Gold: Greatest Hits』というコンピレーションアルバムは3000万枚以上を売り上げ、史上最も売れたアルバムの1つとなりました。
人々はABBAを求め続けていたのです。

2000年にバンドが再結成するために10億ドルのオファーがあったという話は広く知られていますが、結局何も実現しませんでした。
その理由の1つは、ビヨルンが『ガーディアン』紙に説明したように、それが実際には正式なオファーではなかったからです。

「スポンサー付きのツアーで、100回公演をする話を誰かから聞いたことがありますが、書面化されたことはありませんでした」と彼は説明しました。
「でも、誰もが私たちがそれをやらないだろうとわかっていました」。

それもそのはず、ライブパフォーマンスはABBAにとって決して仕事の中で好きな部分ではなかったのです。
「ヒステリックな観客の前に立つ経験をしたことがある人は、背筋がぞくっとする感覚を避けられないでしょう」と、アグネタは伝記作家に語っています。
「祝祭と脅威は紙一重です」。

ABBAとしては、すでに世界中を精力的にツアーするという目標を達成していたのでした。

「250回の公演をやってほしいと言われたんです。それは信じられないような話でした」とアグネタは2013年に『ラジオ・タイムズ』に語りました。
「無理です。絶対に無理。私たちはもうそれをやり尽くしていたんです」。

*補足:実際にABBAへの再結成オファーは2回あり、いずれも日本の商社が関与していました。筆者は2018年にスウェーデンを訪れた際、この件についてABBAのマネージャーであるゴーレル・ハンザー氏に謝罪しています。


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