ABBAは世界で最も有名なバンドの一つかもしれないが、最初からそうだったわけではない。
1974年に「恋のウォータールー」でユーロビジョン・ソング・コンテストの歴史に残る瞬間を作り出した彼らだったが、当初はバンドとして真剣に受け止められるまでに苦戦した。世間では、単なる一発屋のギミック的存在と見られていたのだ。
新たなドキュメンタリー『ABBA: Against the Odds』の独占クリップでは、このシングルが彼らの人生にどのような影響を与えたかが描かれている。
映像の冒頭では、ABBAのマネージャースティッカン・アンダーソン(Stikkan Anderson)が彼らをスウェーデンのレコードレーベル「ポーラー・ミュージック(Polar Music)」に契約する場面が映し出される。ポーラー・ミュージックは、ヨーロッパ市場へ進出することを目標にしていた。
「スティッカンは最初から僕たちを信じてくれていた」と、ビョルンはナレーションで語る。
「彼はいつも『君たちはいつか世界的なヒット曲を書くよ』と言っていた」。
そして実際に、その通りになった。
映像はさらに進み、「恋のウォータールー」がヨーロッパのチャートを急速に席巻し、イギリス、ベルギー、フィンランド、ドイツなどでナンバーワンを獲得したことを伝える。
*(BBC/ロガン・プロダクションズ/アラミー)© 提供: イブニング・スタンダード。
「優勝したときは、まるでスイッチを押したかのように、ヨーロッパ中で全てが動き出したんだ」と、ビヨルンは当時のインタビュー映像で語る。
イギリスでは“地味”な評価だった
とはいえ、すべてが順調だったわけではない。
「イギリスでは、『恋のウォータールー』はかなり地味だと思われていたんだ」と、ベニーは振り返る。
「たとえ曲がナンバーワンになっても…ユーロビジョンに出た時点で、その後のキャリアは終わり、みたいな空気があった」。
この見解には、ビヨルンも同意する。
「まるでDJたちの間で暗黙の了解があったかのように、誰もがそう思っていたんだ」。
しかし、結果的にABBAはこの偏見を打ち破り、世界のチャートを制覇することになる。
彼らは数多くのナンバーワンヒットを生み出し、50年後の今もロンドンで『ABBA Voyage』という画期的なショーを開催するまでになった。
『ABBA: Against the Odds』——ABBA誕生の物語
このドキュメンタリーは、ローガン・プロダクションズ(Rogan Productions)が制作し、BAFTA受賞監督ジェームズ・ローガン(James Rogan)が監督を務めた作品。
1974年に「ウォータールー」でユーロビジョン優勝を果たしたABBAは、世界のチャートだけでなく、母国スウェーデンでも真のポップグループとして認められるまでに苦闘した。
しかし、一度成功を手にした後は、その重圧がバンド内の人間関係にも影響を及ぼしていった。
📺 放送情報
- BBC iPlayer:5月4日午前6時(イギリス時間)より配信開始
- BBC One:5月8日午後22時40分(イギリス時間)より放送