10月5日日曜日、日本初のミュージカル『CHESS』が千秋楽を迎えた。
当日は「台風」の影響大きく、お客さんの足も遠のくと思えたが、いざ始まってみれば、満員の観衆に、最高の拍手喝采。やっぱり〝いいモノ〟は観る者に同時に〝感動〟を与え、その証に観客は舞台の俳優陣に惜しみない拍手を送るのである。
「舞台がダサすぎる」
「小道具も手作り感満載」
「俳優の服は自前?」
などの非難が筆者の耳にもスタッフの耳にも入って来た。確かに「事実」だから仕方ない。だが、これだけ多くの観客から支持を得たのは、何を隠そう〝大事なことはハード(小道具、手作り)ではなくソフト(劇の内容、俳優の熱意)〟であることを多くの観客が改めて感じたからに他ならない。
監督のジョナ・へガンズ氏は筆者同様「21世紀になる前」から『CHESS』を観てきて、スタッフとしての経験もある。残念ながら日本のメディア、音楽評論家、演劇評論家はもちろんのこと劇団関係者も21世紀になる前、つまり『CHESS』が難解で、毎回毎回、スコアを付け加えたり、減らしたりした〝事実〟を観てくることを怠ってしまったので、『CHESS』を評論できない。今、評論しても書いている評論家は、海外で書かれたライナーノーツの丸写しか、あてずっぽで書いている。メディアもそういう人になぜわざわざ評論や解説を依頼するのか?多くのABBAファンは呆れているが、恐らく、今まで言ってきても変わらないので、今後も同じことが続き、どうにもならないことなのだろう。残念だ。
リテラシー。日本人が戦中、そして戦後「もっと不得手」としているモノだ。
昔は淀川さんとか水野さんとか〝プロ〟の評論家が「この映画は良い」「この映画はダメ」とハッキリ言ってくれたので、観に行く側もラクだった。しかし昨今は「レビュー」という振り幅が広い、しかも「主観」で書かれたモノを参考にして観に行くことが一般化してしまった。この現象は映画に限らず、ミュージカル、演劇、さらにレストランの良し悪しを示す指標になってしまった。ますます〝日本人のリテラシー〟を鈍化させてしまっている。
常日頃から筆者はこのサイトあるいは他のサイトやブログで「なぜ評論家は後進者を育てないのか?」と訴えてきた。後進者を育てないから、その人が死んでしまえば、その人が持っていた経験や知識もそこでなくなってしまう。実にもったいない話だ。またそうした「昔の名前で出ています評論家」は、新人の評論家を潰す。ライバルとして敵視する。メディアもそうした内乱を見て見ぬふりで後進者を後押ししない。だから〝リテラシー〟のない国民はますます「良いモノ」を観る機会を失ってしまう。それが今の日本の文化の現状ではないかと思う。このままだと日本文化は確実に「沈没」「衰退」する。
1988年、ブロードウェイで『CHESS』を観た時、ABBA現役時からABBAを酷評してきた評論家に滅多打ちにされ、わずか4カ月で幕を閉じる結果となった。だが、1986年のロンドン版よりスッキリしたストーリーになり、今の『CHESS』の原型を作ったと言っても過言ではないと筆者は思っている……。
歴史。それは観てきた人、経験してきた人にしかわからない。そろそろ私達も「何が良いモノ」で「何が悪いモノ」なのか?リテラシーをしっかり身に着ける必要があるのではないだろうか?テレビ、新聞で報じていることは必ずしも〝真実〟ではないし、むしろ〝嘘〟の記事の方が多い。
そういう意味で、今回の『CHESS』はもっとたくさんの人に観てほしかった。「英語わかりません」とか「チケットの買い方が難しい」など確かに「問題点」は多々あったと思う。しかし筆者を含め、数名のABBAファンは「何の情報もない」1984年、1986年、1988年、英語オンリーの『CHESS IN CONCERT』『CHESS』を観に行って、そこに居た観客とビヨルン、ベニーの世界を堪能した。筆者の最初の『CHESS』観劇はまさにそこから始まった。当時、高校を卒業したばかりの筆者は、劇場で俳優達が何を言っているのか?さっぱりわからなかった。ただでさえも難解なCHESSの一言一句などまるで意味不明だった。でもそれでも良いと思った。なぜならば、ビヨルン、ベニーが作ったものだからという〝安心感〟があったから、大人になるまで観続ければ、いつかはわかるだろうと思っていたからである。
今はチケットぴあなどで簡単にチケットが購入できる時代だ。筆者が初めて『CHESS IN CONCERT』を観た1984年はインターネットもなく、飛行機も、ホテルも、Wブッキングなんて、頻繁にある時代であった、それに比べれば、現在は、海外にも安心して行ける時代になったと思う。シャンデリアに飾られた劇場に、温水付シャワーが付いたトイレ。そんな環境の良いところで観ることが好ましいのはわからないでもない。だが、いくらそうした立派な劇場でも舞台の内容には「あたり」「はずれ」はある。リテラシーに欠けている多くの人達には既に感覚がマヒしてしまったのか?「その立派な劇場」に行けたことで満足している人も少なくない。
海外では、例え、他言語であっても〝良いモノ〟を賞賛し、悪いモノにはブーイングを送る。日本人もいつまでも英語アレルギーになっていないで、良いモノを見る目を養うことが肝要なのではないだろうか?
さて、次回の国内『CHESS』はいつ、どこで行なわれるのか?近いうちにこのサイトでまた報告致します。
なお、今回の『CHESS』に出演した中で「プロ」の俳優は一人もいなかった。だがその中でも〝きらりと光る〟役者とダンサーを発見できたのは〝唯一の収穫〟だった。フローレンス役のブリー・トラスコットさんは『元ディズニーの本物の白雪姫』。どおりで歌も演技もうまいわけだ。白雪姫は世界に4人しかいないそうだ。それよりもさらに凄かったのは〝バレエダンサー〟の竹田純さんの存在だ。ミュージカル『CHESS』の中でのダンサーの役割は「CHESSの神」あるいは「CHESSプレイヤーの心理状態」を表現している大事な役割だ。ただ踊っているわけではない。竹田さんの加入で、『CHESS』は輝きを見せ、監督ジョナ氏の求めていた以上の結果に十分を持って余りあるほど〝貢献〟できたのではないかと筆者は思っている。今後はミュージカルにトライすると本人に意気込みも大きい。是非、この難しい『CHESS』を演じた〝日本公演初のダンサー〟として自信を持って羽ばたいてほしい(竹田純さんオフィシャルブログ Click here )
監督、スタッフの「目に見えない」人達の努力にも大きな拍手を送りたい。
『CHESS』30周年の今年、日本公演が実現でき、本当に素晴らしかった。しかも『CHESS』の設定が「1984年」になっていた演出もまたニクイ!(ビヨルン、ベニーが『CHESS』を発表した年が1984年、今から30年前)
ABBAメジャー・デビュー40周年で前半賑わい、『マンマ・ミーア!』15周年で劇団四季が公演を即、決定してくれ、あとは『CHESS』だけだったが、その『CHESS』も発表から30周年を見事に飾ってくれた。ABBAファンはもちろんのこと、ABBAファンでない人も堪能できた一年だったのではないだろうか?
今後『CHESS』日本公演は『マンマ・ミーア!』同様、毎年続けてほしい演目である。もっと多くの人達に観てもらいたい。それが『CHESS』というミュージカルなのである。
*『CHESS』日本公演写真撮影:東京インターナショナルプレイヤーズ
*竹田純さん写真撮影:筆者
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