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劇団四季 マンマ・ミーア! WATERLOO RADIO

劇団四季『マンマ・ミーア!』日本公演3000回達成!!

2002年12月1日に始まった劇団四季『マンマ・ミーア!』が10月8日土曜日17時半からの公演で『通算3000回』を達成した。3000回を達成したのはロンドン(イギリス)、ブロードウエイ他(アメリカ)に継いで3国目!

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この日は劇団四季会員の中でも特に『マンマ・ミーア!』ファンが多く集まり、ステンディングオベイション時のサイリュームが暗闇で3000回を記念し大きな光の流れを作った。とりわけブルーのサイリュームが目立ったのが特徴だった。

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カーテンコールが終わった後も鳴り止まない拍手と歓声。すると突然、場内に「お集まりの紳士・淑女の皆様!」とドナ&ザ・ダイナモスの声が。「こんな素敵な日は、もう少し皆さんと踊りましょうよ!」と再び幕が開くと、特別カーテンコールとして「ダンシング・クイーン」を披露。舞台上と客席が一体となって、ディスコ化した。

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2002年12月電通四季劇場・海(現大同生命ミュージカルシアター電通四季劇場)の『こけら落とし公演』として始まった『マンマ・ミーア!』は当初、主役の保坂ドナに引っ張られ、あっという間に東京、大阪、福岡、名古屋を制圧!日本に『マンマ・ミーア!』&ABBAブームを巻き起こした。その後、静岡、広島、仙台の3都市公園を終え、再び、四季劇場・海へ。主役も保坂ドナ、濱田ドナの後、2002年12月当時ドナの娘役ソフィを演じていた樋口ソフィが‶世界で初めて″『一人二役』のドナに挑戦。しかし『3・11』が東日本を襲い、二度目の東京・海公演は早々に中止に。以後、京都、北海道を制止、再び東京へ。舞台は四季劇場・海から秋へ。しかしその樋口ドナも劇団四季を退団。とうとう‶看板女優″が四季から消えてしまった。右往左往しながら10月8日に3000回を達成!しかし23日日曜日で『マンマ・ミーア!』はひとまず‶休止″に入る(写真は2005年大阪公演初日、左から筆者、樋口当時ソフィ、加藤正元三井ガーデン京都三条総支配人)。

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「看板女優が四季にはいなくなった」と語って劇団四季を去った樋口ドナ。10月8日も会場から「今後『マンマ・ミーア!』はどうなるのだろう?」「出来れば全盛期の『マンマ・ミーア!』を観たかった」との声もあちこちから。筆者も大変心配するところだ(写真真ん中:樋口ドナ)

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筆者は思う。なぜ思い切って、ドナもソフィも劇団四季以外から登用しないのか?今、主役を演じている光川ドナは確かに歌唱力は抜群だ。しかし過去のドナに比べてやや線が細すぎる感がある。光川ドナはもともとターニャを演じていたはず。再度ターニャに戻すべきではないだろうか?今後もドナを続けていくならば、もう少し‶貫禄″あるドナを演じてほしいと思うのは筆者だけだろうか?

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ただ面白い俳優も現れた。山本道ペッパーだ。パッ見た目は俳の伊藤淳史のようだ。しかし、バク転も出来るし、口笛も出来る。過去のペッパーとは違うキャラクターだ。今後の活躍に期待したい。

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阿久津サムはどうしたのだろうか?顔色が悪く、かなり太った。筆者の杞憂であればいいのだが(写真上は現在の阿久津サム、下はかつての阿久津サム)

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筆者は2002年12月1日から14年間『マンマ・ミーア!』を観続けてきた。もちろんロンドンでもブロードウェイでも観劇した。『マンマ・ミーア!』制作会社のリトルスターのトレイガス・プロデューサーからは「日本の『マンマ・ミーア!』はきみ(筆者)に任せてあるから安心だ!」と太鼓判をもらった。その為、他の人が言えないことを敢えて書かせてもらっている。それもこれも『マンマ・ミーア!』を愛するためだ(写真は2011年東京・海セカンド公演千秋楽、真ん中:トレイガス氏)。

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浅利代表が劇団四季を辞めて、随分『堅苦しくないマンマ・ミーア!』になった。会話も劇団四季特有のしゃべり方をしているのはスカイだけだ。阿久津サムは普通のTVドラマでも観られるような会話に替わった。流暢になったと言うべきだろう。過去の『マンマ・ミーア!』とはかなり雰囲気が変わった。またハリーが頻繁に語っていた「つれあい」も「パートナー」に替わるなど、『マンマ・ミーア!』もある意味‶浅利体制″からかなり脱皮したと思う。しかし『重厚感がない』のだ。もっと強く言えば『緊張感がない』のだ(写真2004年東京・海ファースト公演千秋楽、左:保坂ドナ、右:筆者)。

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歌詞はかつての「何を言っているかわからない」ことは100%なくなった。セリフは前述したように未だにわざとらしいしゃべり方をしているのはスカイだけだ。あとは大変『日常会話』に近いしゃべり方に変貌した、というより、聞きやすいようになった。だが2002年に観た時のような『セリフのタメ』や『間の摂り方』が全くなくなってしまった。つまり『無難にこなしている』ように感じる(写真は2005年『マンマ・ミーア!』大阪公演初日、写真撮影:筆者)。

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筆者が2002年のドナ役に突き付けてきた歌詞の捉え方も今では筆者が口をはさむこともなくなった。ただ『ザ・ウイナー』と『ワン・オブ・アス』の違いが未だに分かっていないような気がする。どちらも現実ではABBAのビヨルンとアグネタの離婚劇を歌った歌だが、『ザ・ウイナー』は喜怒哀楽が激しく、『マンマ・ミーア!』では十分に活かされている。しかし『ワン・オブ・アス』はアグネタが一人天井を見つめ『悲壮感』をもって歌っているが、『マンマ・ミーア!』では全く活かされていない。この辺の『気持ちの使い分け』を持って歌えば、『ザ・ウイナー』も『ワン・オブ・アス』もさらによくなるのではないだろうか?

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『マンマ・ミーア!』は『ライオン・キング』に継ぐ、劇団四季の『ドル箱』である。23日に一旦休止後は『新たなマンマ・ミーア』が観られることを希望したい。そして是非、4000回、5000回を達成した欲しい。今後の劇団四季に期待したい。ちなみにこの日のカーテンコールは5回だった。これだけ見ても『マンマ・ミーア!』の魅力の低下を露呈しているのではないだろうか?

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