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劇団四季 マンマ・ミーア! WATERLOO RADIO

ABBAの前の時間にバス旅行、ベニー(BAO)と共に!!

スウェーデンポップ界はABBAが全てを変えるまで派手な衣装を身に纏った放浪バンドが牛耳っていました。ベニーは今、そんなグループたちを率いています(後援 REPORTER’S NOTEBOOK)。

写真: ストックホルムでのベニー・アンダーソン・オーケストラのコンサートの、ダンスフロアで踊るカップルたち。BAOとして知られるそのバンドはスウェーデンツアーを終えたところです(David B. ニューヨークタイムズ紙)。

ストックホルムーキャサリン・キングは最近のベニー・アンダーソン・オーケストラのコンサートで簡単に見られました。彼女はステージのすぐそば、安全柵代わりにしようとしていた大きなオーストラリアの国旗の前に立っていました。49歳のキングはスウェーデンツアーのうち4公演に参加するために、タスマニアの家からやってきてくれました。

「私は7歳の時にABBAに恋をしたの。でも残念なことに、両親はシドニーのコンサートの行かせてくれなかったわ。絶対にそのことは忘れない」と彼女は話します。

「冗談だけどね」と付け加えました(冗談ではないと思いますが)。

写真: ストックホルムでサインに応じるベニー。

「人のために音楽を演奏するってことは、人が出来る中で最もご褒美になることだよ」と彼は言います。

 

David B. ニューヨークタイムズ紙

キーボードのところでノっていたヒゲのあるピアニストであるベニーはABBAの音、作詞、申し分のない楽曲を作る上で、ビヨルンと主に鍵となる人物でした。

しかし、2001年以降彼が率いる大きなアンサンブルによるコンサートは『マンマ・ミーア!』の支持者に迎合はしません。

72歳のベニーはBAO(“バオ”と発音する)自身のグループをスウェーデンの人たちを世代を超えて楽しませた「ダンスバンド」 の伝統の一部として見ています。1970年代や80年代に人気のピークを迎えたダンスバンドは国をさまよい、主にポップ、ディスコ、一つの目標でよくある簡単に聞けるヒット曲のようなものを演奏していたでしょう。人々が踊れるようなものです。多くはお揃いのド派手でステキな衣装を着ていました。

ほとんどのダンスバンドのように、BAOのツアーはバスによるものでした。これ見よがしな二階建てのバスではないけれど、快適なものです。ベニーのクルーはスーパーサイズなので、特別室が必要でした。普通のダンスバンドは4人から6人なのに対して、弦楽器やホルン、2人の歌手を含めるとメンバーは15人います。

セットリストは4時間に渡り、50曲からなることだよ豪勢なものです。ほんの少しがABBAのもので、「ラヴァーズ」や「プット・オン・ユア・ホワイト・ソンブレロ」などです。

写真: 左から、ベニー、Lars Rudolfsson、Calle Jakobsson(スウェーデン、Trosaでのリハーサル中   David B. ニューヨークタイムズ紙)。

写真: ストックホルムでリードボーカルで歌うKalle Moraeus いくつかの楽器を演奏します( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

「私はABBAファンの皆さんのためにその曲をします。きっと知っているだろうからね。」とベニーはにっこり笑いながら言います。「他のお客さんは知らないかもしれないけど」。

BAOのセットは、まるで誰かがSpotifyで20ものジャンルのプレイリストを混ぜ合わせたみたいに、不可解なものです。先週、4つのツアーに参加して16時間音楽に聞き入りました。例えば、ワグナーの「リング」のアップビートなもの、ワルツだったり、ジャズ、ポップ、ポルカ、ブギ、シャンソン、ロカビリー、グラムロックや昔ながらのフォークなど様々です。バンドはすべてのスタイルをやったと言えます。そしてABBAの代表ヒット曲へとスムーズにまとめていました。

「彼らは音楽におけるスウェーデンらしさを持っている」と55歳のJan RydenはBAOについて、ストックホルムから90分西側にあるEskilstunaでのショーの最後に話しました。

「トップクラスだ!彼ら以外にこんなことができる人はいない」と友人である57歳のMats Eriksson は話しました。

写真: ほとんどのダンスバンドどうようえに、BAOはスウェーデンの田舎地方へバスでツアー( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

写真: Kalle MoraeusがTrosaへの道中ギターをかき鳴らしています( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

音楽についてあらゆる手段が講じられました。クラシック部門ではKalle Moraeusがバンジョー、Janne Bengtsonのフルートによる名ソロで演奏されるバッハのバディヌリーがありました。最初はロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー・オーケストラで、次はスウェーデンの最初のマルチ楽器演奏者たちによるものだということは驚くことではありませんでした。

「ベニーはDuke Ellingtonがバンドとするように、私たちの本当の部分を書く。」と日中はロイヤル・スウェディッシュ・オペラ・オーケストラでチューバ演奏しているCalle Jakobssonは言います。そして「BAOと演奏するときは、オペラで全シーズンで演奏するよりもたくさんの音符を弾いているかもしれない」と付け加えました。

ソロのプロジェクトをレコーディングし、作曲し、スウェーデンのロイヤルウエディングに合うものを書いたり、前バンドのレガシーをこっそり見たりしていると、ベニーのABBA後のキャリアは実に信じられないほど充実しています。そして明らかにBAOは彼にとって特別なものです。

ですから、人気のアルバムシリーズのリリースに加えて、数年ごとに、ライブのために楽団を集めます。この夏はスウェーデン中の3000人から7500人収容できる8つの屋外会場で演奏しました。そのツアーは、8月3日に終わりました。

BAOのコンサートは、コンサートであるのと同じように地域のお祝いでもあるので、その屋外演出はとても重要です。ピクニックの出席者の長い夏の日はゆっくりと、ちりとなって消えていきます。花の飾りのついた様々な色のライトのある四角い木のダンスフロアはステージの真ん前にセットされています。

写真: Trosaの屋外コンサートに並ぶ人たち。BAOのコンサートは、コンサートでありながら、地域のお祝いでもあります(David B. ニューヨークタイムズ紙)。

写真: ピクニック出席者の長い夏の日はゆっくりと、ちりのように消えていきます( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

写真: 51歳のPaul Kuantaと34歳のSandra LinanderはTrosaでのショーを観るために30マイル(約48キロ)以上も運転していきました(David B. ニューヨークタイムズ紙)。

「私たちぐらい演奏していると、ダンサーをみて、エネルギーが湧くんだ。良い共生だよ」とJakobssonは言います。

ダンスフロアは素晴らしいイコライザーです。長期間BAOのファンである首相のステファン・ロベーンがTrosaの小さな町のコンサートで踊り出した時、誰も瞬きできませんでした。多くのダンスバンドが演奏していた遊園地も伝統に賛同しました。

20世紀前半に繁栄した遊園地はスウェーデンの人たちがライブミュージックに踊り、カーニバルのようなアトラクションを楽しむことができる場所でした。ABBAの4人も1960年代にそこで遊びました。ベニーとビヨルンが出会ったのもそこでした。世界規模に変えるまで初期のバンド時代もそこで続けました。最近では、時代遅れであると思われており、あまり残っていません。

「一番初めのBAOのツアーでは、私たちは、小さなステージとダンス用の大きな円形広間のある昔からの遊園地へ行ったんだ。それで私たちはみんなに自分たちの遊園地を持ってくるべきじゃないかって思ったんだ。ダンスフロアがあってダーツができて、ホットドッグ、チョコレートホイール(チョコレートが当たる回転するダーツくじのようなもの)があるんだ。ごちゃごちゃしすぎたから、ダンスフロアをライトだけにしたんだ。でも十分だよ」とベニーは話します。

写真: BAOのボーカルであるHelen Sjoholmがストックホルムのコンサートに向けて準備中( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

写真: 前の演奏の批評を読むバンドメンバーたち( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

スウェーデン中心部にあるLeksandのショーの後、BAOはこじんまりしたホテルに滞在しました。他のみんなと同じようにビュッフェを食べるベニーにとっては豪華な豪邸ではありませんでした。

次の日Eskilstunaへの道中、木を燃やしているオーブンで手作りでスウェーデン伝統のクリスプブレッドを作っているベーカリーに併設されているレストランでランチに立ち寄りました。数年前にそのベーカリーが閉店の危機にあった時、ベニーは投資しました。「なくなってほしくない私たちの文化の一つなんだよ」と話しました。

これ伝統と地域という考えを調和させる人と同じです。彼はよくステージ初めて習った楽器であるアコーディオンに持ちかえます。自身の曲を演奏していない時はよく、女性グループであるSysterpolskanのようなフォークのアンサンブルとコラボレーションします。また、古代の楽器や音楽のテクニックを保存するために教育的イニシアチブをサポートしています。

しかしそれはベニーが過去に固執しているということではありません。彼は最近、1979年の頃のABBAのホログラムを使った360度バーチャルショーに取りかかっています。そのプロジェクトのために、バンドは約40年ぶりに新曲をレコーディングしました。

「あれから全く時が流れていないようにスタジオに集まった。みんなすぐに役割に入り込めたよ」とベニーは話します。

曲の準備はできています。しかし、ハイテクな「ABBAター」はまだ準備が整っていません。お披露目が遅れています。ベニーによると、全計画の期待を高めるものとして、新曲「I Still Have Faith in You」のビデオは数ヶ月後には発表できると予想しています。

写真: ストックホルムの楽屋裏にて、左にViktor ErnlundとJohanna Moraeus。BAOメンバー の何人かの子どもたちはよくバンドと一緒にツアーに出て、時々演奏もします( David B. ニューヨークタイムズ紙)。

保存、放送、仲間はミュージシャンにとって大切なので、BAOメンバーの何人かの子どもはよく一緒にツアーについてきます。Moraeus の23歳の娘は多才な楽器演奏者で、商品販売担当の子どもたちの団の監督をしています。彼女とベーシスト10代の息子たちは時々参加します。Bengtsonの15歳の娘は数曲の間、ホルンの場所に座り、トランペットを演奏します。

最近まで、バンドメンバーたちはショーの後、バスの中やホテルでよく即興演奏をしていました。そして次の世代がそのバトンをもらいました。3人の若いバイオリン弾きはLeksandでのコンサートの後、ホテルのダイニングルームで即興演奏をし、大人は足を踏みならし、リズムを刻みました。

「人のために音楽を演奏するってことは、人が出来る中で最もご褒美になることだよ」とベニーは言います。「一緒に演奏すれば、人生は豊かになる」。

https://www.nytimes.com/2019/08/14/arts/music/benny-andersson-orkester-dansband-abba.html?fbclid=IwAR0vvAlqBGdtB7AcidVOHHrM4UYcmG16khP1DpQyPbPvB_Nkin2kb7qmCSA

 


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