『The Show-A Tribute to ABBA』のチケットは取りましたか?
必ず楽しめます。私東山凛太朗が「保証」します!
ABBAはインストゥルメンタル、ミニミュージカル、子供達との合唱などなど、様々なパフォーマンスをオーディエンスに提供してきました。今回はそんな「珠玉の名曲」をご紹介しましょう!
インテルメッツォ・ナンバー・ワン」(インストゥルメンタル)INTERMAZZO NO.1
インテルメッツォとは歌詞なし、曲のみの楽曲。もともとクラシックを好まずスウェディッシュ・フォークで音楽に目覚め、思春期の頃はビーチ・ボーイズに夢中になり、ビートルズ全盛時には『ヘップ・スターズ』に参加してロックに集中していたベニーだったが、ある程度大人になってクラシック、それもバッハに傾倒するようになり、この曲を書き上げた。当初のベニーはこの曲のタイトルを「バッハの曲」と名付けたのを見ると、よほどバッハにハマっていたことが理解できる。最終的に「インテルメッツォ・ナンバー・ワン」と落ち着いたが、「ナンバー・ワン」とは「バッハはNO1」なのか、それとも今後もインテルメッツォを作っていく予定があったので、その〝第一弾〟として「ナンバー・ワン」と称したのか?想像するのも面白いだろう。コンサートでは必ずと言っていいほど、演奏した曲だ。海外の手品師も好んで使った曲だ。
「悲しきフェルナンド」FERNANDO
この「悲しきフェルナンド」はもともとフリーダのソロ・アルバム用に作られたスウェーデン語の曲だった。しかし、この曲はスウェーデンの国境を越えてヒットする可能性を秘めている……そう気付いたビヨルンとベニーは、自分たちのナンバーとして、レコーディングしようと決意した。結局このアイディアは大成功。「悲しきフェルナンド」は数々の国でチャートのトップを飾った。特にオーストラリアでは十四週連続トップを独占、この記録に肩を並べられるのはビートルズの「ヘイ・ジュード」のみだ。恐るべきこの偉業の前には、ABBAはオーストラリアを初訪問し、テレビのスペシャル番組『ザ・ベスト・オブ・ABBA』を収録。これもまた記録を塗り替えるものだった。視聴率五十四%を稼ぎ、一九六九年の月面着陸をしのぐ数の視聴者を引き付けた。
その他、イギリスや西ドイツ、オーストラリア、メキシコなど世界十三カ国でナンバー・ワンに輝き、カナダやジンバブエ、フィンランドなど五カ国で二位、スペインで三位、ABBAがあまり受け入れられなかったイタリアでも六位をマーク。米国では最高十三位だった。「ダンシング・クイーン」と並ぶABBA最大のヒット曲となった。
日本ではABBAの〝第一次ブーム〟に火をつけたのがこの「悲しきフェルナンド」だった。パナソニック(当時:松下)のCMにも投与され、世界戦略でどうしても落としたかったオーストラリアで「悲しきフェルナンド」をナショナルのCMで起用し、見事にオーストラリアを口説き落としたのは今では〝逸話〟となって残っている。
ミュージカル『マンマ・ミーア!』ではドナが三人男性と久々に会う前に鼻歌を歌っているのが、この「悲しきフェルナンド」だ。
<歌詞の和訳>
フェルナンド あなたには聞こえるかしら
私は今 昔のことを思い出しているの
星が出て 青く輝いていたあの夜を
炎の中に フェルナンド
あなたはやさしくギターを弾きながら
歌を口ずさんでいた
静まりかえった中で
私にはどこからか戦いを告げるドラムの音が
こだまするのが聞こえていた
フェルナンド 戦いは近づいていた
過ぎて行く時は永遠だと思われていた
そして 若かったから
誰も死について考えていないと思っていました
でも 今 あの時おもいきり泣きたかったことを告白することは
少しも恥ずかしくありません
あの夜、空気の中に何かがあった
星たちは、きらきらと輝いていて
星たちは私たち2人のために、そして自由のために輝いていたの
私たちは決して負けることも 後もどりすることも考えなかった
もし もう一度そのことをしなければならなかったら
私はおなじことをするでしょう
もし もう一度そのことをしなければならなかったら
私は同じことをするでしょう
フェルナンド あなたも年をとりました
長い間あなたの手の中に銃を見たことはないわ
あのドラムの音が聞こえるかしら?
フェルナンド
リオ・グランデを渡ったあの恐ろしい夜をまだ覚えてるかしら?
そして今もあなたの目を見ればわかる
この国の自由のために戦ったことを誇りに思っているのよ
「マネー・マネー・マネー」MONEY,MONEY,MONEY
今では『日本で一番流れる洋楽』になった。TVでお金の話題になると、必ずと言っていいほどBGMで流れる。海外ではシングル「ダンシング・クイーン」に続くセカンド・シングルとしてリリースされたが、日本ではシングル「ザッツ・ミー」のB面としてリリース。ねちっこく歌うフリーダのヴォーカルが印象的だ。まるでマレーネ・デートリッヒを彷彿させる。そもそもビヨルンとベニーは日本で言うところの昭和初期、海外では一九二〇年~三〇年代の欧州のどことなく陰湿なキャバレーを想像して作ろうと計画を立てた。「そうよ、お金よ、お金が全てなのよ。だけど、結局、庶民には夢の話なんだわ」という刹那的な表情が「マネー」と言う言葉を何度も使うことで見事なまでに反映されている。当初、作詩担当のビヨルンは、曲内に数多く登場する「マネー」と言う言葉に抵抗があった。その為、初期のタイトルは「ジプシー・ガール」。フリーダが歌うこの歌は「マネー」を多投することで、曲そのものの力強さを生み出し、最終的に「マネー、マネー、マネー」と題名に落ち着いた。この曲が日本で大々的な市民権を得たのはミュージカル『マンマ・ミーア!』の影響が大きい。前半の見どころの一つだ。「えっ?この曲、ABBAが歌っていたの?」とミュージカルや映画を観て、初めて知った人も少なくなかったようだ。
オーストラリアや西ドイツ、フランスなど世界七カ国でナンバー・ワンを記録。スイスやノルウェイなど三カ国で二位をマークし、オーストリアでは三位、フィンランドでは七位にランク。ただし、前述したが、日本では「ザッツ・ミー」のB面ソングだった。
ちなみにこの曲のプロモーション・ビデオで使用された、アグネタとフリーダの衣装をパクッたのが、ピンク・レディの「ウォンテッド」だった。そっくりなのでまだ見ていないない人は是非、見てほしい。
<歌詞の和訳>
この支払いを済ましてしまうために
私は一晩中、一日中、働くの
悲しいでしょ?
でもいくら働いても
私には1セントも残らないようね
ひどいわね
でも私はあることを夢みてるの
もし、お金持ちの男を掴まえたら
私は全く働かないですむんですもの
いつも遊んでバカ騒ぎしていられるのよ
マネー、マネー、マネー
お金持ちの世界はさぞ楽しいでしょうね
マネー、マネー、マネー
お金を持っている人達の世界は
いつでも輝いているんでしょうね
アハ、アハ
もし、少しでもお金があれば
私は何でもできるのに
でもそれは、お金持ちの世界のお話
お金のある男の人って見つけにくいもの
でも、私ったらそんな男の人のことばかり考えて…
悲しいことだと思わない
もしその人に恋人がいないとしても
きっと私なんか見向きもしないでしょうね
何てひどいことでしょう
だから行かなくちゃ、ここから出て
ラスべガスか、モナコにでも行かなくちゃ
そして賭け事をして勝つの
そしたら、私の人生も変わるはず…
マネー、マネー、マネー
お金持ちの世界はさぞ他のしいんでしょうね
マネー、マネー、マネー
お金を持っている人達の世界は
いつでも輝いているんでしょうね
アハ、アハ
私は何でもできるのに
でもそれは、お金持ちの人の世界のお話
マネー、マネー、マネー
お金持ちの世界はさぞ楽しいでしょうね
マネー、マネー、マネー
お金を持っている人達の世界は
いつでも輝いているでしょうね
アハ、アハ
もし、少しでもお金があれば
私は何でもできるのに
でも、それは、お金持ちの世界のお話
そう、それはお金のある人のお話
「イーグル」 EAGLE
リチャード・バックのベストセラー小説『かもめのジョナサン』に触発されたビヨルンが書き上げた六分にもおよぶ大作。〝自由と歓び〟の感覚を音楽で再現したいという思いから生まれたのが、この「イーグル」だ。アルバムの中で最も実験的な楽曲。これをオープニングに持ってきたこということからも、本作にかけるビヨルンとベニーの強い意気込みを感じることが出来る。幻想的で重厚なサウンドと突き抜けるようなサビの高揚感は最高だ。ベニーの演奏による壮大で幻想的なキーボード聴き応え十分だ。映画『ABBA・ザ・ムービー』では、白日夢的なエレベーター・シーンで印象的に使われている。日本で撮影・放送されたTBS『ABBA・スペシャル』でもオープニングを飾った。
当初のオリジナル・タイトルは「ハイ、ハイ」。レコーディングの過程で「ザ・イーグル」へと変更され、最終的に「ザ」を取り除いた形で落ち着いた。聴き手の想像力をかきたてる美しい歌詞も印象的で、現在ではABBAベスト・ソングの一つに数えられている。
ドイツでは六位、オランダでは四位、スイスでは七位と各国でトップ一〇ヒットを記録。ベルギーではナンバー・ワンに輝いている。ちなみに日本では最高位一位。
<歌詞の和訳>
彼らは遥か彼方から飛んできたのです
私は、今、すっかりその魔力に
捉えられてしまっています
私は、彼らが話してくれる物語を
聞くのが好きです
彼らは私の国の向こうのいろいろな場所を見てきたの
彼らは新しい水平線を見つけたの
彼らは不思議な話し方をしますが、
私には判ります
そして、私は、自分がワシになった夢をみます
自分の翼を拡げている夢を
高く、高く飛びながら
私は空の鳥
私はそよ風に舞い飛ぶワシ
高く、高く
飛ぶっていうことは何て素晴らしい
気分なんでしょう
山を越え、森の上を、海を渡るっていうことは
好きな所、どこへでも行けるっていうことは
全ての良き友人同士がするように
私たちも一晩中語り合います
そして、私たちは翼に翼を重ねて飛ぶのです
私が質問すると彼らは何でも答えてくれます
私が肌で感じていくことには
本当に限りがないように思えるのです
私たちは空高く昇り、飛ぶのです
夢をみているのでしょうか、
それとも現実のことなのでしょうか、
私がワシであるということは本当なのかしら
翼を拡げられるということは
飛べ、高く、高く……
「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」 THANK YOU FOR THE MUSIC
今やABBAの代名詞ともなった名曲中の名曲。当時からファンの間でも絶大な支持を集めていた作品だったが、残念ながら一部の地域を除いてはシングル・カットされなかった。
この曲を書くにあたり、ベニーが目指したのは、誰もが一緒になって口ずさめるような楽曲。特に意識したのは、戦前のミュージック・ホールや、イギリスのパブで歌われる娯楽歌だった。酔って機嫌の良くなった観衆がビールを片手に大声で口ずさむ……マレーネ・デートリッヒの世界だ。
当初レコーディングされたヴァージョンではキャバレー・スタイルのリズミカルなアレンジが特徴だった。しかしどうもこれだとアルバムの中で浮いてしまうと判断。最終的にはオーソドックスなポップ・バラードとして仕上げられた。アグネタのピュアで後半にかけてパワフルになっていくヴォーカルは魅力的だ。映画『ABBA・ザ・ムービー』ではエンディング・テーマとしても使われている。
当時「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」がシングル・カットされたのはベルギーや南アフリカ、西ドイツなど一部の地域のみ。ベルギーでナンバー・ワンを記録したほか、南アフリカで二位、オランダで四位、ジンバブエで五位をマーク。
アルバムのリリース時から非常に人気が高く、あのカーペンターズのカレンもテレビ番組のライヴでカバーしており、スタジオ・レコーディングする寸前に「やっぱり歌えないわ」と諦めたそう。その他、世界中のアーティストがレコーディングやライヴで歌っており、「ダンシング・クイーン」と並んで最も多くカバーされたABBAの作品だろう。
<歌詞の和訳>
私は特別な人間じゃない
本当は少しばかり退屈な人間なの
私の言う冗談は、
きっと貴方はもう聞いたことがあるわ
だけど、私には才能があるの
それは素晴らしいものよ
なぜって、私が歌い始めると
誰もが耳を傾けるのよ
私はとても感謝してるし、誇りに思っているわ
私の唯一の望みは声を大にして皆に歌うことなの
だから私は言うの
神様、音楽をありがとうって
私が歌う歌たち
それらがもたらす、
すべての喜びよ、ありがとう
その喜びなしで、誰が生きられるでしょうか
私は心から聞きましょう
歌やダンスなしの人生って、一体何でしょう
そうよ、音楽をありがとう
私に与えてくれて、
母が言ってたわ
私は、歩くよりも前に
ダンスを覚えたって
彼女が言うのよ
私は話すことよりも
ずっと前に歌うことを覚えたって
時々、不思議に思うのは
一体それがどうして始まったのだろうって
メロディーのほかに私たちの心を
掴むことが出来るものなんて何もないって
誰が気付いたのかしら?
さて、それが誰であろうとも
私はファンなのだから、そうよ
音楽をありがとう
私は幸福だったわ
私は金髪の女の子
私は皆に歌をうたいたいの
何という喜び、何という人生
何というチャンス
音楽をありがとう
「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」 I HAVE A DREAM
誰もが口ずさめる歌謡曲調のバラードはベニーが日頃言っていたように「ヨーロッパの民族歌謡」の伝統に立ち戻った楽曲が本作だ。みんなが一緒になって歌えるような楽曲。ディスコ・ナンバーを揃えたアルバム『ヴーレ・ヴー』の中では際立つ存在になっている。
一九七九年は国連の国際児童年で「チキチータ」をABBAは提供したが、この「アイ・ハヴ・ア。ドリーム」にはその影響が如実に表れている。後半のサビ部分で子供達が登場しコーラスするのだ。七九年秋からスタートしたワールド・ツアーでも、各地で現地の子供達をステージに招いて歌い、コンサートの最大の見せ場のひとつとなった。
「ハード・ロック全盛の時代に子供達を使った平和に満ちたポップ・ソングとは何事ぞ」と非難する層もいたが、ABBAはそういう非難にもめげない。「コーラス隊をもってくること自体が悪趣味になりかねないのだから、子供を使うなんて当然ながら危険なことだよ」としながら「でもこの場合は上手くいったね」と仕上がりにはABBAは満足していたようだ。
確かにアルバム『ヴーレ・ヴー』は当時流行していたディスコに触発されて制作したアルバムであることは間違いないが、アルバム中全曲をディスコにする必要もなく、常日頃から「ポップ・ミュージックの世界では人と全く違うことをやるべきだ」と語っていたベニーはさらに「僕は流行に合わせようとすることより、『マネー・マネー・マネー』や『チキチータ』のように風変わりな音楽をやっているほうが性に合うんだ」とも論じている。「別にディスコ・ナンバーばかり揃えたアルバムじゃなくてもいいじゃないか!中には非ディスコ曲もある。そういうアルバムがあってもいいはずさ」と言うのが彼らの解釈だった。
アルバムからの最後のシングルとして発売された「アイ・ハウ・ア・ドリーム」は、オーストラリア、ベルギー、オランダ、スイスの四カ国でナンバー・ワンを獲得したほか、イギリスとアイルランドで二位、南アフリカで三位、ドイツとアルゼンチンで四位をマーク。アルバム発売から八ヶ月以上も経っていたわけだから、これは文句なしの大ヒットと言える。
<歌詞の和訳>
私は歌をうたうという夢がある
それはどんなことでも
うまく切り抜けるように助けてくれるの
もし あなたがおとぎ話に不思議なことを判ったら
まだ 失敗しても未来に夢はもてるわ
私は天使を信じているの
私が見ているすべてのものの中には、何か素晴らしいものを
私は天使を信じているわ
私にとってピッタリのその時が来たら
私は 流れを渡るでしょう
私には夢がある
私には夢があるの。空想ね。
それは現実に耐える助けになるわ
そして 私の目的は 暗闇の静かな何マイルかを
押し分けて進むだけの価値があるわ
私は 天使を信じているわ
私のみているものの何か素晴らしいものを
私は天使を信じているわ
私にとってピッタリのその時が来たら
私は 流れを渡るでしょう
私には夢があるの
“The Show A Tribute To ABBA” JAPAN 2018
♬ SUMMER NIGHT CITY / サマー・ナイト・シティ
♬ TAKE A CHANCE ON ME / テイク・ア・チャンス
♬ I DO I DO I DO I DO I DO / アイ・ドゥ、アイ・ドゥ
♬ FERNANDO / 悲しきフェルナンド
– ACOUSTIC MEDLEY – ~アコースティックメドレー〜
♬ I have a dream / アイ・ハヴ・ア・ドリーム
♬ Slipping through my fingers / スリッピング・スルー
♬ Honey Honey / ハニー、ハニー
♬ SOS / SOS
♬ Our last summer / アワ・ラスト・サマー
♬ THATS ME / ザッツ・ミー
♬ INTERMEZZO / インテルメッツォ・ナンバー・ワン
♬ EAGLE / イーグル
♬ VOULEZ VOUS / ヴーレ・ヴー
♬ I HAVE A DREAM / アイ・ハヴ・ア・ドリーム
**only when there is a children choir 子どものコーラスが入る時のみ演奏
♬ THE WINNER TAKES IT ALL / ザ・ウィナー
♬ ONE MAN ONE WOMAN / ワン・マン、ワン・ウーマン
♬ MAMMA MIA / マンマ・ミーア
♬ KNOWING ME KNOWING YOU / ノウイング・ミー、ノウイング・ユー
♬ MONEY MONEY MONEY / マネー・マネー・マネー
♬ CHIQUITITA / チキチータ
♬ DOES YOUR MOTHER KNOW / ダズ・ユア・マザー・ノウ
♬ DANCING QUEEN / ダンシング・クイーン
♬ GIMME! GIMME! GIMME! / ギミー!ギミー!ギミー!
♬ SUPER TROUPER / スーパー・トゥルーパー
♬ SO LONG / ソー・ロング
-extra- アンコール
♬ WATERLOO / 恋のウォータールー
♬ THANK YOU FOR THE MUSIC / サンキュー・フォー・ザ・ミュージック
ツアースケジュール
・9/17(月・祝)13:30開場:新宿文化センター
・9/17(月・祝)17:30開場:新宿文化センター
・9/18(火)18:30開場:新宿文化センター
・9/19(水)18:30開場:新宿文化センター*千秋楽
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