多くのバンドやアーティストは、キャリアの初期に自分たちにとって快適なスタイルで活動を始めます。しかし、最良のアーティストたちは、自然な進化と進化を望む気持ちの両方から、新しく刺激的な方向へと発展していきます。
1977年のヒットシングル「きらめきの序曲」以前、ABBAの音楽はキャッチーで独創的ではあるものの、深く掘り下げたり、境界を押し広げるようなものではなかったと言えるかもしれません。しかし、この野心的な楽曲を聴けば、彼らをポップ音楽の名匠以外の何者とも呼べなくなるでしょう。
「きらめきの序曲」以前のABBA
ABBAの最初の5年間のレコーディングでは、耳に残るシングルが次々と生み出されました。作詞作曲を手掛けるビヨルンとベニーは、予想外のコード進行や見事なフレーズの使い方に早くから才能を発揮していました。また、フリーダとアグネタいう驚くべき2人のボーカリストに恵まれていました。
スウェーデンの4人組はジャンルを横断する巧みさも見せていました。ディスコの洒落た要素、グラムロックのムーブメント、感情を引き出すバラードなどを織り交ぜ、1976年の世界的なヒット曲「ダンシング・クイーン」では、それらすべての要素を1曲にまとめ上げました。
この路線を維持して、甘いポップソングに専念することもできたでしょう。しかし、アンダーソンとウルヴァースは、楽曲に少しずつ複雑さやニュアンスを加えていきました。「きらめきの序曲」は、音楽的にさらに野心を増し、歌詞にも大人のテーマがほのめかされるという転換点となったのです。
「きらめきの序曲」の誕生
1977年、レコーディングやツアーで多忙を極める中、ABBAは映画スターにもなることを決意しました。『ABBA: The Movie』は1977年末に公開される予定で、多くの内容はバンドのライブパフォーマンスに焦点を当てるものでしたが、ラッセ・ハルストレム監督によるストーリーも取り入れられていました。
その中で、アグネタが自分の想いを抱くセラピストと話すシーンが考案されました。そのシーンに合う曲を作る際、ベニーとビヨルンは、仮タイトル「A Bit of Myself」として書き始めていた音楽に歌詞を加え、「きらめきの序曲(The Name of the Game)」を完成させました。
この曲は、音楽的にも非常に独創的な仕上がりとなりました。スリンキーなシンセのオープニングリフから、夢のようなヴァース、切ないプレコーラス、そしてきらめくリフレインへと展開します。「きらめきの序曲」にはアカペラのポストコーラス/ブリッジも含まれ、それが再びリフレインに戻るという構成になっています。さらに、コーラスには対旋律も加えられ、全体として緻密な楽曲となっています。
「きらめきの序曲(The Name of the Game)」の意味
歌詞には、精神分析医と患者の関係をほのめかす部分(たとえば 「私は手に負えないケースだった」 という一節)が見られますが、全体としては、恋愛経験の少ない人が、より経験豊富で自信のある相手に慎重に手を差し伸べる物語としても機能します。主人公は、「あなたが私に隠しているものを明らかにさせる」と告白しますが、相手の気持ちが同じであるか確信が持てず、自分を完全にはさらけ出せません。彼女は率直に問いかけます。「What’s the name of the game? / Does it mean anything to you?」
アグネタとフリーダはリードを交互に担当し、時折ハーモニーを奏でます。この手法は、脆さと強さの両方を見事に表現しています。
「きらめきの序曲(The Name of the Game)」は世界中でヒットしましたが、ABBAの他の曲ほどの大ヒットにはなりませんでした。そのスケールの大きさが一部の人々には魅力を伝えにくかったのかもしれません。しかし、この曲はバンドのキャリアにおいて最も重要な楽曲の一つとして評価されるでしょう。これは、ささやかな楽しさを超えて、希少な巧妙さと感情を持つポップミュージックを生み出した転機だったのです。