ABBAメンバーが、Rutger Gunnarssonの死亡記事を公表しました。以下は私たちが翻訳した内容です。
Rutger Gunnarsson (69) がストックホルムで亡くなりました。息子のRickard、娘のMinnieとJoanna、その他多数の友人や同僚が彼の死を悲しんでいます。
本物のミュージシャンくらい、共に笑い合う人種はいません。ミュージシャンには独特の子供っぽさや遊び心があります。おそらく、一つの楽器をマスターし、その楽器を通して自由に感情を表現できる喜びから、警戒心がなくなり、世間に対してオープンに、また寛容になれるのではないでしょうか。Rutger Gunnarssonがそうであったように。彼は、国境など簡単に超えてしまうくらいの真のミュージシャンでした。
生前のRutgerから、こんな話を聞きました。スウェーデンのどこかのトイレで若者と隣り合わせになったときに、その若者が、隣に立っているのはあの有名なGunnarssonだと気付いたそうです。そして彼は、かろうじて、「ベースの世界で最近何かありましたか?」と言ったそうです。この質問に今答えるとすれば、「イエス」です。偉大なベーシストが、この世を去ってしまいました。
Rutgerは、60年代後半くらいから我々のライブに参加してくれました。 フーテナニー・シンガーズという変な名前のビョルンのフォークグループのツアー中に、ベニーが飛行機で移動中で、ベーシストが急遽必要になったことがありました。誰かがRutgerを推薦してくれて、 我々はベニーとフリーダの家で彼と会いました。
クラシックギターの腕前に加えて、彼のユーモア、目の輝き、反応の早さもとても印象に残りました。 Rutgerは一緒にいて楽しい人で、楽しいというのは誰にとっても重要です。我々にとっても、楽しさは基本的なポイントでした。こうして彼は、我々と一緒に仕事をすることになりました。
ABBA結成後はずっとRutgerと一緒でした。オーストラリア、日本、北米、ヨーロッパのツアーにも同行してくれました。我々ABBAメンバーが世界中のツアーで舞台を飛び回っているときに、Rutgerはいつも、我々の後ろで落ち着いてほほえんでいました。本当に優秀なベーシストはゆるぎない一貫性、安定性を保つものですが、彼はその典型でした。
ABBAのほぼすべてのレコーディングに参加してくれたRutgerは、スタジオでの収録中に素晴らしいベースラインを思いつき、びっくりするくらい正確に弾いてみせてくれました。メロディが美しく、ものすごく盛り上がる彼の音楽は、皆を幸せにしてくれました。一緒に音楽を作るという共同作業において、彼の本領が一番発揮されていたように思います。親しい同僚であり、友人であったRutger Gunnarssonの思い出を胸に、これからも音楽を続けていきます。