『ABBA物語、それはリンシェーピング(Linköping)で始まった』
ビヨルンとベニーが出会ってから50年が経ちました。その出会いがABBAというサクセスストーリへと導いたのです。すべてがリンシェーピングで始まったことはあまり知られていません。
2011年に、Bengt Petterssonが、DrottninggatanとStorgatanの角にある「First Hotel」を購入しました。ポップミュージックの巨匠が、当時 Rally Hotelと呼ばれていたこのホテルで出会ったという噂もありましたが、ただの作り話だと言う話もありました。
「いやいや、それは本当だ! なぜなら、ベニーのおかげで、わたしの軍隊経歴はとても短かったのだから」とビヨルンは笑い飛ばしています。
11月に、ビヨルンは ‘Hellenius Hörna’というテレビ番組にゲスト出演したとき、話題となっているホテルの向かいにある公園、Slottsparkenでしたベニーとの演奏についての話しをしていました。Bengt Petterssonは、あの噂は本当かもしれないと、その時、思いました。
「ドイツのTVが、ここにいて、番組を制作していました。私は、メニューに「The Hep Stars」のサインをもらったというウエイトレスと連絡を取りました」とBengt。
『宿命の出会い』
当時、ビヨルンはフーテナニー・シンガーズ ( Hootenanny Singers ) で 活動していました。ベニーはヘップ・スターズ(The Hep Stars)のメンバーでした。
両方ともスウェーデン音楽界のスター・グループでした。お互いメンバー同士の認識はありませんでしたが、興味はありました。そこで、リンシェーピング(Lidköping)で会うことにしたのです。ヘップ・スターが、どこで会うか勘違いをしていて、結局、手違いでリンシェーピングで会うことになったのです。
フーテナニー・シンガーズのベーシストのTonny Rothは、のちに、リンシェーピングで医者になりましたが、1966年6月5日、Rally Hotelで面会したときは、バンドのメンバーでした。その晩の出会いが後に4億枚ものセールスを記録し、3番目に高く評価されたミュージシャンを生み出すこととなりました。
「実に、単純なことなんだ。我々はそこに集まったんだ。はっきりとはおぼえていないのだが、ホテルからでたか、Slottsparkenへ行くことに決めたのか、思い立ったように演奏を始めたんだ。」
リンシェーピングは自分たちのホームタウンのVästervikからも結構近くなので、フーテナニー・シンガーズがよく滞在する街ではありませんでした。ですが、1966年の6月5日、その日は、その町がパーフェクトだったのです。
『兵役』
「わたし、ビヨルン・ウルヴァースとJohan Karlbergは次の日に兵役に行くことになっていました。バンドメンバーの、Hansi Schwarzは、ドイツ人であることで、兵役の義務から除外されていました。彼以外の私たちも数年間、入隊時期の延長をすることが出来ていたのですが、期限が来てしまいました」
「その夜のあとは、二日酔いだったんじゃないですか?」
「はい、でもその年齢ではよくあることです」
「みんな、隊では、お互いよく知っていましたし、隊長が他の新兵に、音楽活動のために、もう少しの猶予を許可してもいいだろうかと尋ねてくれたとき、全員が賛成してくれたそうです」
「1968年にツーリングをやめたことは悔やまれますか?」
「いいえ、わたしは本当に勉強したかったし、ビヨルンではありませんでした。」
「いまでも、連絡を取っていますか?」
「はい、時々。」
『1966年にいたウエイトレス』
Fröydis Sandbergは、60年代にRally Hotelでウエイトレスをしていました。彼女のおかげでBengt Petterssonは、1966年6月6日のヘップ・スターのサイン入りのメニューを持っています。その裏には、「Christer Pettersson」、 「Benny Andersson」「Svenne Hedlund」のサインが、8kr の牛ひれ肉Rossiniや2.5krのチョコレートプリンなどのメニューが並んでいます。
「ああ、懐かしい!」Fröydisと声をあげます。「あのビッグな人たちの名前がここに勢ぞろいでしょう。Count Basie、The Hollies、Family Four, Danny Kayeとか。そこはドライブインホテルだったので、宿泊客はガレージがから直接フロントに向かうことができるようになっていて、お客さんがほっと一息つかれたことを確認していました。
キッチンは11:15 pmに閉まることになっていたのですが、スタッフはよく、遅くまで残っていました。
「アーティスト達はコンサートの後に、電話してくるかもしれないし、夜中に何か食べさせてもらいないかと聞いてくるかも知れなかったのです。私たちは、そんな時はもちろんご要望にお応えしていました。」とFröydisは話しています。
Paul Ankaがここにきたときのことも憶えています。ホテルの前には大変な人だかりでした。私たちは彼をキッチンの扉からこっそりと抜けださせてあげました。想像してみてください!フランス出身のバラードのシンガーソングライター・俳優のシャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)がやってきたりもするのです。彼は、フロントにいた女の子の中の1人と後に結婚したのです。
Fröydis はいつも上手にサインをもらっていました。家の引出しの奥には、まだまだ、たくさんのサインが入っています。
76歳にもかかわらず、ここ40年間、Yxnerums Hotelで健康で仕事をしています。
「わたしは、根っから、サービス業が好きなんです!」
『ABBAのテーマ』
ビヨルンとベニーの出会いから50周年を迎え、Rally hotel (現在のBest Western)が注目されています。オーナーのBengt Petterssonは、どのようにこの機会をとらえたらよいかと考えています。
「サインの入ったメニューを額に入れます。ホテルにABBAのコーナーも設けます。それから、その夜、ビヨルンが泊まった部屋をABBAスイートにすることも検討しています。特別なものになると思います!」
あの晩の6月5日と6日をテーマにして、ABBAの曲やクラッシックな料理を演出して、レストランの60年代を再現してはと思っています。
それから、もしビヨルンとベニーが一緒に来てくれるなら、食事や宿泊をご招待したいです!ハハ!」
引用: Corren:
http://www.corren.se/nyheter/abba-sagan-borjade-pa-linkopingshotell-om4054931.aspx