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劇団四季 マンマ・ミーア! WATERLOO RADIO

ベニーとの面白いインタビュー

金曜日に、伝説のABBAがピアノで演奏するソロアルバムをリリースします。

Gunilla Brodrejがベニーと緊張感や哀愁などについて対談します。

 

「ABBAが再結集するかどうかは聞かないでください」。私は私のそばに立って、初めてベニーと会うことに緊張している若いレポーターに指示しました。「緊張する必要はないよ。彼はとてもフレンドリーだし、気取ったりするような人じゃないから。心配しないで」。

私たちはベニーの新しいソロアルバム「ピアノ」が発表される、彼のスタジオRixmixningsverketにいます。クラシック界に名高いDeutsche Grammophonとフィーチャーしています。音楽を読めない、もしくは書けないようなミュージシャンのソロアルバムはめったにリリースされません。しかし今がその時です。ベニーは世界各国のジャーナリストの前で息をのむようなサンプルを演奏してくれます。その後、私たちは今までに食べたことのないようなフィンガーフードをいただくのです。

1週間後、単独インタビューのためにSkeppsholmenに戻ってくるつもりです。これがこの秋の一大目玉で、実際ベニーほど本物であるようなミュージシャンや作曲家はスウェーデンにはいません。個人の音楽的レベルで。2010年のヨーロッパのを覆った灰の雲とつながるのですが、私たちはそこに近づています。

「あなたはいままでここに、ベニーの大爆発に来たことがありますか。それは変ですよ!」

それは誰かが今までに私に言った言葉の中で一番素敵なことかもしれません。

◆Marie-Louise Ekman の提案

私たちが座っているオフィスはストックホルムのSkeppsholmenにある低い石でできた二つの家のうちの一つです。それはMarie-Louise Ekmanで、それから近所の王立芸術協会の代表で、彼はベニーに、在さ管理人に、荒れ放題で使われていない古い雑誌のレーンを持っていてもらうようアドバイスしました。ラベルの付いた建築物のモニュメントは修理調整されました。そして今、ベニーの音楽スタジオ、RMVは彼のオフィスの中にあり、隣にはほかの小さな文化帝国、出版社、芸術家のマネージメント、レコード会社、その他の必要なものがあります。すべてがLinn、GorelそしてCarinaの家母長制で仕切られており、それから、ベニーの息子、Ludvig Anderssonです。

そのオフィスは高い天井、露出した梁、壁にかかっている芸術作品、グランドビアノ、すべての作曲が行われるシンクラヴィアのある居心地のいいお部屋になっています。

―なんでも聞いてくれたらいいよ。昔は私はABBAの年のいったおじいさんになりたくはなかったんだ。しかし、『マンマ・ミーア!』の後、もはやそれは可能ではなかった。感謝する理由が実際にあるんだ。と彼は言います。

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◆新しいマンマ・ミーアの映画

いいえ、片手でもう片方を握りしめているか、もう片方の手がえさをやっているのを止めるのかは大した問題ではないのです。今、新しい『マンマ・ミーア!』の映画があります。しかしベニーはミュージカルのついて語るときいまだに目を輝かせます。Orsa Speleman、彼のバンドや映画音楽、もしくはプロジェクトしているのは私だけですか。ABBAは私の子供たちの歌です。その音楽は大人の私にとってほかの何よりも意味を持つものになりました。

「スウェーデンからでるやいなや、すべてがABBAのことになります。そして最後の質問はいつもこうです。「聞かない方がいいってわかっているのですが、もう一度みんなで演奏してくれませんか。」そして私はその質問が終わりきるまえにノーと答えるのです」。

スウェーデンの外のほかの材料に届くようなこのアルバムを作った時、それはあなたの脳裏にありましたか。

―いいえ、まったくなかったよ!私がこれをしたのは何年もの間それについて考えてきたからだよ。突然パイプラインに何もなくなったからしたんだ。しかし私がレコーディングを始めるとすぐに、突然「マンマ・ミーア」の映画がでてきたんだ(Mamma Mia- here we go again)。それから、もちろん歌手と一緒に映画のために音楽をレコーディングするのに夏のほとんどを使ったよ。それが、ピアース・ブロスナン、メリル・ストリープ、コリン・ファース、アマンダ・サイフリッドら前のギャングたち、そして若き頃のドナを演じるリリー・ジェイムズです。それから、デジタルな私たちが演奏するというABBAのプロジェクトです。

何を見ることができるでしょうか。

―そうだね、うん、もちろんだよ。

でもどのバージョンのあなたですか。

―何がほしいですか。私たちがトップだった1979年?考えとしてはね、18世紀のベンチに座って、誰かのふりをした私たちではなく、私たちがそこにいたって気づくだろうってことなんだ。

ではあなたたちが実際にステージにいる3Dを期待したらいいということですか。

―そうだと思うよ。そのうちわかるよ。すこしまだ不確かで、いまたくさんのことがこの増大した現実で起こっているからね。

ではお客さんたちは特別の眼鏡をかけなきゃならないということではないのですね。

―可能性としてはあり得ます。まだわかりません。もしくは、もしホログラムやスクリーナという形なら、実際に時間がかかることは、私たちを細部までコンピューター化することです。

ご自身がステージに上がられる方が、簡単だったんじゃないですか。

―そうですね。そうかもしれません。とベニーはいたずらな笑みを浮かべながら言いました。でもそれは1970年代の歌を4人の70歳が歌おうとしているのを見ることほどおもしろくないと思うんだ。

でもローリングストーンズを見てくださいよ!

―でも彼らは一度もやめなかったよ。

じゃあ、The Policeはどうですか?

―そうだね、Stingはやめなかったよ。

でも、あなたもやめなかったでしょう。

―そうだね、私はやめてない、けど、みんなが見たいのは私だとは思わないんだ。みんなが興味があるのはフリーダやアグネタだよ。

彼らのプレッシャーはより良いですか。

―そうだね、彼らはいつも最悪の仕事をしてくれたよ。とベニーは言います。

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◆ベニーのソロアルバム

だからベニーは50年のキャリアの中の曲をグランドピアノで弾いたアルバムをレコーディングしたのです。そして彼は3曲を、誰の音楽で、誰が演奏しているか知らせないままDeutsche Grammophonに送り、彼らは興味を持ちました。

結果を聞いた時、自分自身をどのように思いましたか。

―普段よりずっと哀愁を感じました。あまり哀愁を感じたりするほうではありませんが、ただ存在が好きです。

しかし哀愁は明らかにあなたを引き付けています。あなたと共鳴しています。

―私が音楽を書くことやどうやって作るかについて話に来てくれるか尋ねてくる人たちはたくさんいます。しかし私はできないのです。なぜかというと、どのようにしてそれがうまくいくかわからないのです。もしくは、私が選んだものをどうして選んだのか、私にとってのみいいのではなくほかの人たちにとってもいいのはなぜか、そういったことがわからないのです。とても不思議なことなのです。

作家にどうやって本を書いているのか聞くような感じですか。

―たいていの人は朝起きて、6時間ぐらい座って書くと言うよ。才能以上のことがもっとあるよ。単純に好きなだけ時間をかける。

運も関係するとおっしゃいましたよね。

―そうだね。運のようなもんだよ。待たなければいけないものだね。犬と外へ出かけることはできないよ。それは不可能だ。

よく考えますか。

―はい。もし私がここに座っていても何も起こらないよ。私は今までに聞いたことのない何かを自分が演奏しているのを聞きたいんだ。私は私から出てくるものすべてが他の人がしたことのごちゃ混ぜのものだと信じています。でも、そこにはいつもまぎれもないとてもベニーらしいものが何かありますよね。

―そう言ってくれるととてもうれしいよ。音楽を書くのはコミュニケーションへの欲望であり、しばらくは価値があるものだと感じたいからね。100パーセント正直でなければならいよ。

それはすべてについてすべてで同じなのです。あなたがふりをしたところで誰にも影響はないのです。

―推測するために働いているわけではないのです。とベニーは言います。

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◆ABBAのベストソング

彼の音楽には明らかにメロディがあり、歌いやすい何かがあります。親切心のようなものです。激しい目であなたを見ている、山の上のカラスのようにメロディが現れるときの準備不足のようなものです。ABBAのベストソングやミュージカル、映画音楽、そしてフォークミュージックなどすべてを通り越すフォーク調でsy。すべてを除いたソロアルバムでは、歌はお互いに裸になり、そしてあなたはそれらに関係性があるということがわかります。

私の友人のお父さんがなくなった時、私たちはSoderkopingの教会で、スポティファイであなたのgrief marchをながし、教会のベンチに座り、亡くなったお父さんを思い涙しました。私たちは全員、お互いの感情に触れたのです。あなたの音楽が効きました。何かあなたにはそういう時に効くものがありますか。

―たくさんあるよ。特にバッハだね。もしくは、マリア・カラス。彼女の歌を聞くことだね。すべては声なんだよ。完全に個人的なものだけどね。Jussi Bjorlingもまたすこしあるね。私が作るセレクションの中に私が探しているものと同じものがありますよ。今ねじを取ることのために必要なものは何でも、その要素があります。

少し恥ずかしいと感じるのは必要なことですか。

―ポップミュージックにもあることだよそれは。

言うまでもなく、意味が分かるのはクラシックである必要はりません。そう思うのは高飛車だと思います。しかし、このアルバムはメロディーがすべてです。あなたの音楽はいつも音色が美しいです。あなたはレディーガガのレパートリーを取ることはできないし、その中にこの種のソロアルバムを作ることもできません。

―ときどき何ができたかをチェックするために新しい音楽を聞きます。それは通り過ぎる大きなスチームローラーのようです。とてもよくできたものだと思うし、スウィングもできる。歌もいい。でも、私の中に残らないんだ。

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◆Goran Arnbergの書き写し

ベニーは楽譜を読むことができません。しかし彼は人生で3回ピアノレッスンに行ったことがあります。しかしどのみちうまくいってきたのです。そしてGoran Arnbergはアルバムから販売用に楽譜を書きました。

―耳で演奏するのを覚えるということのいいところは、十分に練習すれば、頭だけでなく手でも知ることができるということです。

音楽を読んだり書いたりできないことを、ハンディーキャップだと感じたことが今までにありますか。

―私がオーケストラにいて、Anders Eljasが指揮をして、私が聞いていて何かおかしいと思った時、そのビートだとCではなくcissであるべきだと言う方がいいだろうね。それから「Clair delune」は譜面から演奏される方がいいだろうね。

―Sven-Olof Waldoffがかつて、2回テルをすることはできない、フラットになるからね。といったことを覚えています。そのような小さなことはできる人から教えてもらいます。そしてEljasはわたしに、フレンチホルンはあんなに高い音が出ないので、フレンチホルンのためにあのような楽譜を書くことはできないよ、と教えてくれました。でも私の機械ではそれができるんだ。

先週の報道陣用の小さな演奏会であなたはナーバスになるというついて話してくれました。

―バンドと一緒の時はナーバスにはならないんだ。私がピアノから手を放して、演奏をやめても、ほとんど聞こえないんだ。でも今はすべてが聞こえてしまう。コンサートホールに一人で座って、人に言われることはないだろう。

ナーバスなことをとても深刻にとらえていますね。

―いまあなたのために演奏することはできますよ。でも期待があるような状況では、適切でありたいですよね。私は鍛え上げられたピアニストではありません。でもそれは問題ではないかもしれません。もしかしたら観客は気にしないかも?

―私は彼らが気にするとは思いませんね。完璧すぎるものの何が面白いですか。

確かにそれも一理あります。でも、不快なことのために自分をさらけ出したくはないですよね。コンサートホールは大きくて、Deutsche Grammophonの名前が壁一面にある必要はありませんよね。

―魅惑的ですよ!でもそのイエローラベルが前面に出ていたら楽しいと思います。

それはリベンジですか。

―全然違いますよ!知ってもらう必要はないのです。それでも私は大丈夫です。私は19歳の時から有名だけどね。私がその時からしていることは何でも、ほかの人たちに影響を与えています。うれしいと言いながら道で私のところに人は来ます。それは自尊心を傷つけたりしません。

昔からもしかしたら知られていたのかもしれませんね。

―母からね。

お父さんは?

―わからないよ。父は50代だったし、その年代の人たちはみんな一緒だよ。

でも、1970年Hep Starsと演奏したときより今はうまく演奏していますよ。より練習しましたから。あなたは対位旋律の取り方ですらあなたは知っていますよね。あなたの中にもうありますよね。

―なにかは知っているよ。

けいれんを起こしたことはありますか。

―Hep starsはただ楽しかった。そして、ABBA。私たちがしなければならなかったことは、できる限りいいものでいるということだけだった。それから、今までにしたことがないことを選び続けるだけでした。劇場のために、映画のために、フォークミュージックのために書くこと。どんなものになるかわからないことをすることでスピードを維持し続けてたんだと思うよ。

自分を不安定な状況に置くんですか。

―そうだよ。ABBAのアバターはまだ未開の領域です。

進み続けるのは進み続けないことよりたのしいですか。

―私はまだ70歳です。何もしないべきですか?

最近では私は編集部で一番年上です。同僚が私に年を取るのが怖くないかと私の所へ来て聞いてきました。

―どうなんですか。

いいえ怖くないですよ。でも死ぬのは怖いです。

―そうなんですか。でも今生活は豊かになっていますよ。

でも恐ろしいですよ。そんな風に感じたことはないですか。

―いいえ。でもそんなに心配したことはないね。回避する方法はまだないんだし。

もしラッキーなら、できるだけ長く健康でいられるだろうね。

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◆ビヨルンとベニーのミュージカル

2010年にアイスランドの火山、Eyafjallajokullが噴火したとき、ミュージカル「Kristina from Duvemala」がロンドンのロイヤルアルバートホールで英語で上演されました。ビョルンとベニーはチーム、家族、友達と一緒にそこにいて、私はコンサートを見に来ていました。次の日の朝、全員が家に帰るべきでした。Helen Sjoholmは早くに支度をしはじめたので、ヨーロッパの上空を飛ぶ最後の飛行機に乗った最後の一人となりました。

ベニーがどうやって家に帰ろうか、と考えながら来た時には、私はホテルの一般スペースの一つに座っていて、レビューを書いていました。

「最終的には電車に乗ると思うんだ」と私は言いました。

「そうは思わないけどなあ」と私より出来ごとを少しだけよく調べていたベニーが言いました。「スウェーデンまでバスを手配しようと思っているんだ。もしよければ、一緒においでよ」。

「振り返れば、今までで一番良かった旅行のひとつだね。悲しかったことと言えば、コンサートがなくなってしまったことだ。バスに乗ろうとした。それだけだったよ。それから、バスが来たんだ。とってもぼろぼろのね。ヒーターはないし、ヨーロッパを運転したことのないドライバーが二人。冷房の吹き出し口をダンボールでふさがなきゃいけなかったんだ。凍えそうだったよ。フェリーまで200メートルのところでバスが壊れたんだ」とベニーは言います。

あなたはいつもやさしいけれど、旅行中どこかで、少しだけ厳しい時があったように覚えています。私がツイッターに書いたことが間違って理解されてしまったんです。私たちが苦労しながら進んでいることを知られたくなかったんですよね。その時があなたの違う一面に触れたときでした。

「それは何というか、私たちが難民を受け入れるかどうか、みたいなものだよ。私たちがそこにいてレコードを発表したときも、ドイツでは難民問題について質問をする人がたくさんいました。私はそれを聞かれるのが好きだよ。その危機はスウェーデンでは、ないからね。それはソマリア、シリア、アフガニスタンでのことです。私はスウェーデンもドイツも最後にはたくさんの難民を喜んで受け入れるでしょう」。

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◆お急ぎのベニー

私たちは撮影に出かけます。ベニーが急ぎ始めました。しかし彼はまだ、カメラマンが階段の上に見つけたいい場所にあるパティオのドアにくぎを刺そうとハンマーを持って椅子を登っています。私たちが戻った時、私はそのアルバムが本当に好きだということを強調しました。少しやりすぎたかもしれません。

「あなたが好きならよかったよ。」とベニーは言います。

ピアノアルバムを通して、「Kristina from Duvemala」の「Min lust For Dig」の中にあるフレーズを見つけました。それはまた、「Stockholm by night」にもあります。

ベニーははじめはとても懐疑的でした。でも彼はそれをピアノで挑戦しています。

「そうだよ。私はそう思っていなかったんだ。」と彼は言います。

私たちは一緒に喜び、町で珍しいキノコを見つけたようにこれを楽しみます。

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*Gunilla BrodrejはExpressENの文化支部の編集者兼評論家です。

https://www.expressen.se/kultur/det-ar-inte-i-sverige-som-det-ar-flyktingkris/


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