最近ゴーレル・ハンザーに取材をする機会がありました。ゴーレルの素晴らしいキャリアと仕事や業界に対する姿勢について伺ってきました。
ゴーレルは、1969年9月、スティッグ・アンダーソンの音楽出版社スウェーデン・ミュージックとレコード会社ポーラーミュージックで働き始めました。
スティッグの秘書からスタートして、ポーラー・ミュージックの副社長にまで上り詰めました。
ABBAとともにいた頃、彼女は世界中の多くのレーベルとの契約を担当しました。ABBAのパーソナル・マネージャーも務め、マスコミ対応やコンサートツアー、プロモーション活動にも同行しました。
その過程でメンバーとプライベートでも友人になりました。
ABBAがグループとしての活動を停止してからも、スウェーデン・ミュージックとポーラーレコードとも仕事を続けましたが、1987年にわたしは自分の会社、ミュージック&アーティスト・サービス・Görel Hanserを起こしました。
今でもゴーレルはベニーと仕事を続けています。
ベニーのソロ、ベニー・アンダーソン・オーケストラ、ベニー・アンダーソン/ビヨルン・ウルヴァースのミュージカルなどに携わっています。
Q.Södra Brobänken 41にあるあなたのオフィスはあれから変わりましたか?
A.1992年にこの建物に引っ越してきました。ベニーのモノ・ミュージックレーベルの初期メンバーになった5名が当時働いていました。
ベニー、わたし、そして経理と音楽出版のスタッフです。
だんだん会社が大きくなっていきました。特にベニーとビヨルンのミュージカル『クリスティーナ』ができあがってからです。
ミュージカルをするにはたくさんやることがありました。マルメでの世界初上演後のストックホルムの会場、Cirkus theatreはこのミュージカルを上演するために大掛かりな改装をすることになりました。
ミュージカルを上演するために、45人のオーケストラの演奏者、50人から60人のキャスト、そして大勢の人がバックステージで働いていました。
多くのことを取りまとめ、大勢の世話をする必要がありました。わたしやオフィスのスタッフにとって大変な仕事でした。
当時を思い出すと、あれほど大変な状況になることを知らずに始めたのは良かったです。
時には何が起きるのか知らないほうが良いこともありす!
『クリスティーナ』の上演に携わるのと同時に、モノ・ミュージックの運営も続けていました。ベニーはベニー・アンダーソン・オーケストラを始め、わたしはTommy Körberg と Helen Sjöholmといったアーティストをマネージする自分の会社を立ち上げました。
徐々にわたしたちの周りには有能で経験豊かな人々が集まってきました。『クリスティーナ』のマルメ、イェーテボリ、ストックホルム上演のみならず、続いてCirkusで3シーズン上演された『Chess』4シーズン上演された『Mamma Mia!』でも助けてもらいました。
スティッグ・アンダーソン(ABBAの生みの親、ポーラー・ミュージック創設者)と仕事をしている間、彼は、わたしには管理能力があり、管理することに長けているという自信を与えてくれました。まるで生徒を励ます先生のようでした。
君ならできる、君を信用している、と言ってくれました。彼から寄せられた信頼は、自分を信じる感覚を抱かせてくれる貴重なものでした。
長年の間にこのオフィスの中も大分様変わりしましたが、ひとつだけ変わっていないのは、正直一日たりとも退屈な日はないということです。
Q.毎日よくある仕事の日課について説明してもらえますか?
A.毎日自転車でオフィスに到着して、もちろん最初にすることはe-mailを開くことです。もし家でやっていなければです。
最近は、ドイツ・グラモフォンとの取引が多いです・・・ベニーのピアノアルバムのプロモーションをもっとやってくれと要望してきています。
さらに、ABBAはグループとしてもう活動をしないかもしれませんが、ABBAの作品は今でもとても需要があり、そこにたくさん時間を費やしています。
今週はポーラー・ミュージックを運営するMia Segolssonとたくさん話しました。Miaは、ABBAの曲のリリースなどの責任者です。
よくある重要な要望は「~にABBAの曲を使わせてもらえますか?」というもの。それからちょっとした質問まで寄せられます。
どのような要望であっても精一杯対応しています。ストックホルムのABBA博物館と、ロンドンのサウスバンクのABBA展覧会にも多くの労力が必要です。
わたしのデスクに置かれたひとつひとつの物事をプロフェッショナルに対応できているのか確認することは大切です。
Q.今現在と、ABBAが頂点にいた頃とでは仕事はどのように違いますか?
A.この業界で働き始めた頃はABBAにもっぱら集中していました。大体1年に1枚のペースでアルバムをリリースしていました。リリースするには多くの作業がが必要です。
テクノロジーのサポートがなかった時代は今と大分違っていました。
レコード会社の社員はマスターテープを集めるために世界中を飛び回っていました。そして担当する地域で、正しいジャケット、テープ、歌詞であるか、リリースの詳細について確認する必要がありました
さらに、グループのテレビ出演、撮影、インタビューなどのスケジュールの管理もしていました。その他こまごまとしたこともひきうけていていました。
当時は、テレックス、ファックス、磁気パンチカード(初期のコンピュータで使われていた)や電報の時代でした。電報会社に伝えるためにたくさんのメッセージを読み上げた
ことを思い出します。積みあがった手紙の山のことも。
スティッグの奥さんのGudrunは、最新テクノロジーのことをよく知っていて、わたしたちを手助けしてくれました。わたしに初めてファックスを教えてくれたのも彼女でした。
何年もの間テクノロジーの進化を楽しんで見てきましたが、、正直なところわたしはデジタルの世界のアナログな人間なのです。
Q.2018年2月7日、ゴレルは音楽業界でのキャリアを称えられて、スウェーデン版グラミー賞を受賞しました。
「ダンシング・クイーン」がビルボード第一位を獲得、ミュージカル『クリスティーナ』のマルメでの上演、 ベニーのモノ・ミュージックからのファーストソロアルバム『Klinga mina klockor 』が主な受賞の理由でした。
ベニーとビヨルンの幅広い音楽活動によってあなたのキャリアも多くの違う業界(ブロードウェイ、ウェストエンド、映画、クラシック、ポップミュージック等)を網羅することになりました。業界によって違う仕事のアプローチが必要ですか?
A。プロフェッショナルなキャリアのレベルに関わらず、どの人にも平等に尊重して対応したいと思っています。
コンサート、演劇、ツアー、レコードのリリースの仕事、どのような仕事にも全力を尽くすことを心がけています。
一緒に仕事をしやすい人、逆に難しい人がいることは確かです。時にはよくその人の話を聞いて調整することで解決できるものもあります。そうすることで全員の満足を得られる方向に進むこともあります。
Q.ベニーについて描写してください。
A.献身的、音楽の天才、心が暖かい。
Q.ビヨルンはどうでしょう?
A.好奇心旺盛、優れた詩人、起業家。
Q.最後に、今一番期待している仕事はなんでしょうか、また、2018年に実を結びそうなものは何ですか?
A.ヴァーチャルなABBAのプロジェクトとMamma Mia! Here We Go Again!のオープニングが今後予定されている大きな仕事です。しかし何が来ようとも、みんながベストを尽くして働き、同時に楽しめるように良い仕事の環境づくりをしていきたいと考えています。
ゴーレル・ハンザ – はABBAの作品を未来永劫失墜させず、輝きを維持し、その人気・必要性・重要性があることを世界訴え続け、その為に自分の時間をすべてを費やしています。
取材を受けてくれたゴーレル、そして記事冒頭のゴ-レルの経歴について教えてくれたCarl Magnus Palm氏に感謝いたします。