1970年代、ABBAのようにたくさんビデオを作ったアーティストは他に数組で、その頃“promo clips”(ビデオ・クリップ)と呼ばれていました。これらの画期的な手法こそ、ABBAが世界に羽ばたくきっかけになったのです。
★ビデオへのこだわり
現在の若い音楽ファンにとって、MTVのようなテレビ局は60年代頃から現代まで、ずうっと存在していたように思われがちですが、ABBAの名声の絶頂期である1970年代には、当時“promo clips”(ビデオ・クリップ)と呼ばれていた短い映像を作るアーティストは、ほとんどいませんでした。1960年代にすでにローリングストーンズやビートルズが「ビデオ・クリップ」を作っていましたが、それは「プロモーション」用ではなく、あくまで「曲がヒットした後のご褒美」であり、彼らのようなメジャーなグループには「ビデオ・クリップ」は不向きと考えらていました。この傾向は70年になっても続き、ローリング・ストーンズやビートルズのメンバーが、ABBAやクイーン、デヴィッド・ボウイのようなニューカマーたちとおなじように「映像」製作を時々していましたが、ABBAのアプローチは彼らのものとは少し異なっていたのです。
というのも、ABBAにとって、国際的なブレイクを達成した瞬間(1974年4月6日『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』優勝)から、どのように自分たちのキャリアを高めって行ったらよいか?彼らにとって『ビデオ・クリップ』は不可欠な存在だったからです。
「恋のウォータールー」に始まり、リリースするほぼ全てのシングル曲の『ビデオ・クリップ』をABBAは制作しました。そして、いつしかそれは『プロモーション・ビデオ』と呼ばれるようになりました。さらに、シングル・リリースしなかった曲でも『ビデオ・クリップ』を何本か制作しました。どうしてでしょうか?ABBAはあまり大々的なLIVEを好まず、ツアーに出ることをできるだけ少なくしたかったということが理由があげられます。このため、ナマのABBAを観ることができない国の人たちにとって『ビデオ・クリップ』の中に出てくるABBAの映像はとても貴重な存在になったのです。ABBAは、様々な国のTV局に『ビデオ・クリップ』を『プロモーション・ビデオ』として送り、その映像がブラウン管を通して、お茶の間の人たちに届けることがBESTで、かつ最も効率のいい方法であると思ったわけです。結論としては、世界中のテレビ局に『プロモーション・ビデオ』を送ることができたおかげで、ABBAは『ツアー旅行』を最小限に抑えることができました。特に、オーストラリアやニュージーランド、日本のように遠く離れた国へのツアーが典型的な例です。また、『プロモーション・ビデオ』だと、自分たちのビジュアルを完全にコントロールすることができ、ABBAのイメージを崩すことなく、保ち続けることが可能だったからということも、理由の1つです。 (続く)