劇団四季ミュージカル『マンマ・ミーア!東京公演』が2004年11月28日、東京・汐留の電通四季劇場〔海〕で千秋楽を迎えた。2002年12月1日に同劇場のこけら落としとしてスタート。ドイツと共に非英語圏で行われた最初の『マンマ・ミーア!』であっただけに、世界中から注目されていたが、この日まで720公演、82万人を動員した。
主演ドナ役の女優・保坂知寿(ほさか・ちず)さんはただ一人、全公演に出演。「毎回、お客さまの温かいご声援と拍手をいただき本当に幸せな2年間でした」とあいさつ。いつもより早いスタンディングオベイションが起こり、特別バージョンのカーテンコールも行われた。
カーテンコールでは「I have a dream」などのナンバーを披露。満員の観客の総立ちは続き、何度も何度も惜しみない拍手が送られていた。同公演は2005年1月9日にオープンする大阪四季劇場のこけら落とし公演に決定。
「みなさんの元気とパワーを大阪に持っていきたい」と保坂さんは意気込んでいた。ドナ役の保坂知寿さんは現在、日本演劇史上最速での連続出演記録を更新中。万全な体調管理を整える為に大好きなお寿司も控えたとのこと。彼女なくして、『マンマ・ミーア!東京公演』の成功はありえなかったことだろう。
当初はなかなか立ってくれなかった上演後のスタンディングオベイションも回を重ねるごとにヒートアップし、「あれ(スタンディングオベイション)をしたい為に『マンマ・ミーア!』を見に行く」という社会現象さえも日本国内で生み出した。
景気が低迷し、元気がなくなっていた日本に明るさを取り戻すきっかけを作ってくれたのが『マンマ・ミーア!東京公演』であったと言っても過言ではないだろう。
720回目の『マンマ・ミーア!』終了後、パーティーの冒頭、劇団四季総監督浅利慶太氏は「今回のミュージカルの台本作りは本当に大変だった。いつもの(海外のミュージカルの訳の)
3倍は時間がかかった」とその苦労を語られていた。また筆者インタビューの中で『マンマ・ミーア!』に関して「率直に、純粋に絶賛した記事を書いてくれたのはきみだけだった」「ABBAファンクラブが後押ししてくれたのも成功の要因の一つであった。本当にありがとう」とインタビューの中で語ってくれた。
2002年の製作発表会で、筆者がジュディ・クレーマーさんにインタビューした際に、非英語圏初の『マンマ・ミーア!』に対して、「英語圏以外の初の公演だけに、私もビヨルンも不安であると同時に大変緊張している」「しかし楽しみでもある」と語っていただいたことを思い出した。結果的には彼女の心配をよそにして『マンマ・ミーア!東京公演』は浅利慶太氏の素晴らしい翻訳のおかげで大成功を収めることができた。浅利慶太氏なくして、『マンマ・ミーア!東京公演』は二年間も続くことはできなかったであろう。『マンマ・ミーア!』は劇団四季のみならず、今では日本演劇界の財産になったと言っても言い過ぎではないだろう。浅利慶太氏に感謝すると共に、『マンマ・ミーア!東京公演』を支えた劇団四季スタッフ、そして何よりも俳優の皆様に感謝したい!
ありがとう『マンマ・ミーア!』そしてこれからもよろしく!