カーテンコール、最後の曲がこの「恋のウォータールー」だ。これだけは日本語訳していない。日本はもとより、世界各国、英語で俳優陣が歌っている。是非、歌詞を覚えて観に行きましょう!そして俳優陣と一緒に歌いましょう!
ちなみにこの曲がABBAの“メジャー・デビュー曲”です。
ABBAは来年2014年4月6日、メジャー・デビュー40周年を迎えます。
『MAMMAMIA!』は来年2014年4月6日、15周年を迎えます。
☆「恋のウォータールー・『MAMMAMIA!』世界共通版・歌詞」☆
My, my, at Waterloo Napoleon did surrender
マイ・マイ・アト・ウォータールー・ナポレオン・ディド・サレンダー
oh yeah, and I have met my destiny
オー・イエー・アンド・アイ・ハヴ・メット・マイ・ディスティニィ
in quite a similar way
イン・クワイト・ア・シミラー・ウエイ
the history-book on the shelf
ザ・ヒストリーブック・オン・ザ・シェルフ
is always repeating itself
イズ・オールウェイズ・リピーティング・イットセルフ
Waterloo – I was defeated, you won the war
ウォータールー・アイ・ワズ・ディフィード・ユウ・ワン・ザ・ワー
Waterloo – promise to love you forever more
ウォータールー・プロミス・トゥ・ラヴ・ユウ・フォーエバー・モア
Waterloo – couldn’t escape if I wanted to
ウォータールー・クドント・エスケイプ・イフ・アイ・ワンテッド・トゥ
Waterloo – knowing my fate is to be with you
ウォータールー・ノウイング・マイ・フェイト・イズ・トゥ・ビー・ウィズ・ユウ
Wa-wa-wa-wa-Waterloo – finally facing my Waterloo
ワワワワ・ウォーラールー・ファイナリィ・フェイシング・マイ・ウォータールー
So how could I ever refuse I feel like I win when I lose
ソウ・ハウ・クッド・アイ・エヴァ・リフューズ・アイ・フィル・ライク・アイ・ウィン・ホエン・アイ・ルーズ
Waterloo – I was defeated, you won the war
ウォータールー・アイ・ワズ・ディフィード・ユウ・ワン・ザ・ワー
Waterloo – promise to love you forever more
ウォータールー・プロミス・トゥ・ラヴ・ユウ・フォーエバー・モア
Waterloo – couldn’t escape if I wanted to
ウォータールー・クドント・エスケイプ・イフ・アイ・ワンテッド・トゥ
Waterloo – knowing my fate is to be with you
ウォータールー・ノウイング・マイ・フェイト・イズ・トゥ・ビー・ウィズ・ユウ
Wa-wa-wa-wa-Waterloo – finally facing my Waterloo
ワワワワ・ウォーラールー・ファイナリィ・フェイシング・マイ・ウォータールー
Waterloo – finally facing my Waterloo
ファイナリィ・フェイシング・マイ・ウォータールー
劇団四季『マンマ・ミーア!』再演記念㉓最終回「恋のウォータールー」
https://www.youtube.com/watch?v=9dv7n78kP_k
(WITH 「ダンシング・クイーン」
https://www.youtube.com/watch?v=XTCT6J2hO9M
https://www.youtube.com/watch?v=DGQZVQVoFDY
https://www.youtube.com/watch?v=M-qmp91_PTA
https://www.youtube.com/watch?v=fsnDK7BvuEY
https://www.youtube.com/watch?v=x1mOloxtAtw
(カーテンコール・フルヴァージョン)
☆ABBA「恋のウォータールー」トリビア☆
タイトルの“ウォータールー”とは、ベルギー中部にある都市ワーテルローを英語読みした地名。ナポレオンがイギリス軍に大敗した“ワーテルローの戦い”で有名な場所だ。当初から目立ち、優勝するために「世界中の多くの人に覚えてもらう曲名にしないといけないな」と頑固なまでにこだわっていたマネージャーのスティッグは、当初「恋のウォータールー」ではなく「ハニー・パイ」と命名する。しかしどうもピンと来ない。そこでスティッグは1週間ほど、様々な本を読みあさった。「何か良いアイディアになる言葉はないか…」そして、ある言葉に目が止まったのだ。“WATERLOO”。「いいじゃないか、ナポレオンを題材にしていくらでも詩を書けるぞ」。過去、スウェーデンで最も作詩していたスティッグにとってはイッキに頭が回転し始めた。この頃、ビヨルンはまだ英語の不慣れで、楽曲はスティッグ、ビヨルン、ベニーの3人で作られることが多かった。それもビヨルンの努力で徐々に作詩はビヨルンだけで担当することになる。
こうして完成した「恋のウォータールー」。国内でヒット・チャート1位を獲得。ちなみに2位「恋のウォータールー」の英語スウェーデン語ヴァージョン、3位はLP『恋のウォータールー』だった。前作「リング・リング」と同じような「金・銀・銅」を独占した。海外ではベルギー、フィンランド、ドイツ、アイルランド、ノルウェー、南アフリカ、スイス、イギリス、スウェーデンでナンバー・ワンを獲得し、オーストリア、オランダ、ジンバブエで2位、フランス、スペイン、ニュージーランドで3位、オーストラリアで4位、アメリカで6位、イタリアで14位を記録しています。日本でも3位に入った。まさにナポレオンを破った敵国同様に、古いユーロヴィジョンの伝統を打破した一曲となったわけだ。
劇団四季『マンマ・ミーア!』再演記念㉓「恋のウォータールー」(ABBA版)
https://www.youtube.com/watch?v=Sj_9CiNkkn4
(プロモーション・ビデオ)
https://www.youtube.com/watch?v=3FsVeMz1F5c
(1974年4月6日、ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト優勝)
https://www.youtube.com/watch?v=BoeAqeKW5Wk
(アグネタが途中でフリを間違える貴重シーン)
https://www.youtube.com/watch?v=ivKzYEOOYjY
(特別番組、スウェーデン語版)
追記:
1973年12月にアルバム用のセッションの終わり頃にレコーディングされた。その前月、ビヨルン、ベニーおよびスティッグは1974年の『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』のスウェーデン選抜用のエントリー曲を提出するよう要請を受けた。前年の「リング・リング」での失敗の後、3人はこのコンテストに賭ける気持ちはますます高まっていた。『巨人の星』の星飛雄馬のように目の中で炎がメラメラしていたかもしれない…。地球最北の地スウェーデン出身のABBAにとって『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』が事実上、国際舞台への進出への唯一のきっかけとなること、言い換えれば、これしか国際舞台で注目されることがないと思い込んでいた。ビヨルン、ベニーそしてスティッグは、“ハッピー”でアップテンポな歌に賭けることにした。この考えを元に、ビヨルンとベニーは別荘のあるストックホルム群島のヴィグセー島に落ち着いた。以来、彼らは歌作りの際にはそこに引きこもるようになった。これはレコーディング会社ポーラー・ミュージックのプロデューサーとしての毎日の仕事からの雑音や気晴らしから離れるには最も良い方法だったのかもしれない。
ビヨルンとベニーの歌作りの方法とは、2人で何時間も隣に座り、ギターとピアノでコードを弾き、メロディのフレーズをハミングし、良いアイディアを生み出すことであった。その11月の歌作りの間、2人はいくつかの歌を作曲した。その中に、アップテンポのロック曲があった。これも10年前のスペクターの曲への郷愁であった。ピアノとギターの伴奏によるハミング形式のデモカセットがスティッグ・アンダーソンに提出された。
1960年及び1970年代前半のスウェーデンにおいて最も多く作詞を担当した作詞家のスティッグは、歌にふさわしいタイトルを見つけることに取り組んだ。彼は世界中で覚えやすく分かりやすい題名を必要としていた。当初、彼は「ハニー・パイ」を考えたが、そのタイトルはピンと来なかった。1週間の苦脳の後、彼は最終的に”Waterloo(ウォータールー)”という言葉を一冊の本から引用した。これは、ナポレオン・ボナパルトが1815年6月18日、ベルギーの町での戦いにおいて英国とドイツ勢力に惨敗した歴史的事件(ワーテルローの戦い)に基づく。
数時間後、彼は歌のための完全なスウェーデン語の歌詞を完成させた。言い寄る青年の愛に屈する少女の話を”Waterloo”のストーリーにたとえたのである。ABBAは1973年12月中旬、歌をテープに録音するためスタジオ入りした。翌日、グループは別の新曲もレコーディングした。この時、彼らが『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』に有利と考えていたのは、ミドルテンポのバラードだった。カナリア諸島へ休暇を過ごしに行くところだったスティッグの手に新しいデモテープが渡された。歌詞の制作のためである。休暇中、スティッグはスペイン語の“アスタ・マニアーナ(「じゃあ、また明日」)”という挨拶を繰り返して聞くうちに、それを曲のタイトルにするという考えがひらめいた。 彼は電話で曲の歌詞を伝えた。ABBAができるだけ早くスタジオ入りし、レコーディングにとりかかれるようにするためである。「恋のウォータールー」ではアグネタとフリーダが共にリード・ヴォーカルを担当したが、「落葉のメロディ(アスタ・マニアーナ)」はアグネタのソロとなった。
アグネタは、曲の解釈に際し、ふさわしいムードとして彼女の十代の時のアイドル、コニー・フランシスから刺激を受けた。
スティッグが休暇から帰ると、『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』のスウェーデン予選のエントリー曲提出は前日に迫っていた。一体どちらの曲を選べば良いのか。どちらも捨て難かいものであった。「落葉のメロディ(アスタ・マニアーナ)」の方がコンテストの聴衆の期待に近いものだった。しかし…結局、「恋のウォータールー」をチョイス。それはコンテストにおける“劇的なバラード”の伝統に対する挑戦だった。ABBAは、『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』にロックン・ロールの旋風を巻き起こすつもりでいた。
それはまさに正しい選択であった。1974年2月9日に行なわれたスウェーデン予選で、ABBAは次点者とおよそ100ポイント差で勝利を収めたのである。昨年の審査員が今年はガラリと替わったが、それも少なからず結果に影響したのかもしれない。
1974年の『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』は、イギリス代表のオリヴィア・ニュートン=ジョンが優勝の最有力候補だった。オリンピックやラグビー、競馬で有名な賭け師もABBAが優勝するなんて全く予想していなかった。評論家も、メディアさえも。誰も彼もがオリビアの優勝を疑う余地はなかった。
4月6日、英国のブライトンで行なわれた『ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト』の決勝において、ABBAは「恋のウォータールー」の英語ヴァージョンを歌った。彼らの衣装は、このアルバムの表紙に写っているように、その後何年にもわたって記憶に残る、多くのカラフルな衣装を代表するものだった。ABBAはナポレオンの衣装に厚底ブーツ、キラキラした衣装をまとい、登場。会場はどよめいた。しかも、ユーロヴィジョン・オーケストラの指揮者、スヴェン・オロフ・ヴォルドフにナポレオンの格好をさせた(ちなみにアルバムの表紙でナポレオンを演じているのはベースプレーヤーのマイク・ワトソン)。
そして、番狂わせは起こった。何と“ヨーロッパの田舎”と思われていたスウェーデンの、それも“グラム・ロック”を歌ったABBAが優勝したのだ。スティッグ、ビヨルン、ベニーが意図した“過去への挑戦、そして破壊”が達成された瞬間だった。また、“スウェーデンの初優勝”という意味でも審査陣に対しても、過去の偏見を打破することに成功した。まだタドタドしい、スウェーデンなまりのある英語で歌うアグネタやフリーダの初々しさが見られるのは何とも涙ぐましい。
優勝したその日から急に“スター”となったABBAには次から次へと仕事が舞い込んで来た。
「恋のウォータールー」は急速に世界的なヒットとなった。ヨーロッパ諸国および南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ジンバブエ、そして日本ではトップ5、そして米国ではトップ10圏内にランクされた。
また、アルバム『恋のウォータールー』は、スウェーデンとノルウェーでは1位、その他の国々でも上位にランクされた。アルバムに収められた主な曲は、多くの国でシングル・リリースされた「ハニー、ハニー」、そしてフリーダによるバラードの名曲、「私の愛の歌」などである。北アメリカでは、エレキ・ギターとサクソフォンを加えた「リング・リング」の新しいリミックス版がアルバムに収められた。
スウェーデンでは「恋のウォータールー」と「ハニー、ハニー」の2曲がそれぞれシングルのA面、B面としてリリースされた。