1979年、スウェーデンのポップグループABBAはある楽曲の権利を譲渡した。それから45年以上経った今も、その曲はグアテマラの子どもたちの人生を変え続けている。
*セパカイ近郊の農村集落で、自分の権利について学ぶ子どもたち
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
グアテマラの片隅で生まれる希望
グアテマラの辺境の村・セパカイ(Sepacay)にある、泥にまみれた小さな教会。そこで、ユニセフのジャケットを着たマルコス・カウェック・チャマン(Marcos Cahuec Chamán)さんが、子どもたちに「自分の権利」について教えている。
最寄りの町からここへ来るには、車と徒歩で約2時間かかる。道中には岩だらけの山道が続く。
この小さな村には、約30世帯が暮らしている。
- 電話回線なし
- テレビなし
- 電気・水道のインフラなし
あるのは、ボロボロの緑色の祭壇と古びた木のベンチが並ぶ教会だけ。最低限の設備しかないが、ここで子どもたちは学んでいる。
子どもたちが学ぶ「大切なこと」
教会の中では、マルコスさんの声が雨音に混ざりながら響く。
彼は歌やゲームを使いながら、子どもたちに「思春期」「同意」「尊重」といった基本的なことを教えている。
これらのレッスンは、彼らが将来虐待の被害者にならないための大切な知識となる。
母親たちも静かに見守っている。
- 赤ちゃんに授乳する母親
- 迷い込んだ痩せた犬を追い払う母親
「ヒゲが生えてくる人は立ち上がって!」。
マルコスさんが声をかけると、子どもたちからはくすくす笑い声がこぼれる。
*マルコス・レジナルド・カウェック・チャマン(Marcos Reginaldo Cahuec Chamán)、ADP地域支援員
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
ABBAの「チキチータ」が生み出した奇跡——何千人もの子どもを救う支援に
1979年、ABBAはヒット曲「チキチータ」の権利をユニセフ(UNICEF)に寄付。それ以来、45年以上にわたり、その楽曲のロイヤリティが虐待や暴力に苦しむ子どもたちを救い続けている。
グアテマラの支援プロジェクトとABBAのつながり
マルコス・カウェック・チャマン(Marcos Cahuec Chamán)さんは、いつも笑顔を絶やさない、小柄な男性。
彼は地元NGO「開発と平和のための友人協会(Association of Friends of Development of Peace, ADP)」の地域支援員として活動している。
このNGOはユニセフからの支援を受け、グアテマラ北中部のアルタ・ベラパス(Alta Verapaz)地域で活動。
- 虐待を受けた子どもたちへの家庭訪問療法
- 虐待防止のための教育クラス
といった支援を提供している。
このプロジェクトの名は『Knock-knock, Change is at Your Door』(ノック・ノック、変化はあなたの扉の前に)。
そして、このプロジェクトの資金の多くが、意外なところから来ている。それが——ABBAの名曲「チキチータ」のロイヤリティだ。
1979年——ABBAが楽曲をユニセフに寄付
1979年、国連が「国際児童年(International Year of the Child)」を宣言。
この年、ABBAは「チキチータ」の権利をユニセフに譲渡した。
同じくディスコ時代を代表するビー・ジーズ(Bee Gees)も、自身のバラード『Too Much Heaven』の権利を国連機関に寄付。
さらに、ABBAとビー・ジーズは国連総会で開催されたユニセフ・コンサートに出演し、世界中にメッセージを届けた。
ABBAのアグネタととフリーダは、「チキチータ」をリップシンクで披露。
このパフォーマンスは70カ国以上で放送され、音楽を通じた長期的な慈善活動の新たな形が生まれたように見えた。
「チキチータ」が生み出した支援の成果
しかし、ABBAのように楽曲の権利を丸ごと寄付するアーティストはあまり増えなかった。
多くのミュージシャンは、チャリティー・ソングの制作(時には単なる自己PR目的のコラボ)を選ぶ傾向にあった。
例外としては、ジョージ・マイケル(George Michael)が1996年の楽曲『Jesus to a Child』のロイヤリティを児童支援団体Childlineに寄付した例がある。
それでも、「チキチータ」は確実に影響を与え続けた。
1979年以来、この楽曲は500万ドル(約4億円)以上をユニセフの支援に充て、
- 子どもたちの保護
- 虐待・搾取の被害者のリハビリ支援
といった多様なプロジェクトに役立てられてきた。
2014年——ABBAが「チキチータ」の寄付先をグアテマラへ集中
ABBAは現在もユニセフと密接に協力を続けている。
2014年、メンバーたちは決断を下した。
「『チキチータ』の収益をすべて、グアテマラの子どもたちの支援に充てるべきだ」。
この国では、児童虐待が深刻な問題となっている。
📊 2023年のグアテマラ政府の発表によると:
- 1日平均17件の性的虐待が報告されている
- 実際の数は報告されていないケースを含めるとさらに多いと考えられる
- 報告されたケースの半数以上が子ども
「最初の防御線は、子どもたち自身の声」
セパカイ村の教会での授業を終え、マルコス・カウェック・チャマンさんはこう語る。
「子どもたちは幼いころから自分の権利を知る必要があります。
最も重要なのは、自由に話せる環境を作ること。
最初の防御線は、子どもたち自身の声なのです」。
*アルタ・ベラパスの田園風景
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
*ADPの支援員たちがセパカイへ向かい、虐待防止クラスを開催
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
「チキチータ」が支える支援活動——グアテマラの母と娘に希望を
ユニセフの支援を受けるグアテマラのNGO「ADP(開発と平和のための友人協会)」は、虐待被害者のケアに尽力している。心理士やソーシャルワーカー、地域支援員らが、家族とともに心の傷を癒している。
ADPの支援体制
ADPでは、「Knock-knock…」プロジェクトを担当する以下の専門家が活動している。
- 心理士 4名
- ソーシャルワーカー 4名
- 地域支援員(コミュニティプロモーター)3名
そのうちの1人の心理士、レスリー・エミリア・パウ・ソト・ド・カトゥ(Lesly Emilia Paau Soto do Catu)さんは、ある母娘の家庭訪問セラピーを行なっている。
心の傷を抱える母と娘
この母娘が直面しているのは、地域の男性による性的暴行という悲劇だった。
娘は現在10代前半で、母親は事件を知ったとき、どうすればよいか分からず、ただ泣くことしかできなかったという。
「もしこの人たちが助けに来てくれなかったら、私はたぶん自殺していたでしょう」。
母親はそう語る。
彼女が話しているのは、ケクチ族(Q’eqchi’)の言葉。
ケクチ族は、アルタ・ベラパス地方に住む130万人の先住民族マヤ系住民の大半を占めている。
支援の力——食事と笑顔
彼女は涙を拭いながら、こう付け加える。
「彼らは時々、食べ物も持ってきてくれます。それがあると、娘の気分も良くなるんです」。
グアテマラのアルタ・ベラパス地方では、地理的な孤立と低い識字率が、住民たちの生活を厳しくしている。
- 仕事の選択肢がほとんどなく、農作業しかできないケースが多い
- 最も遠隔地に住む家族の中には、1日1ポンド(約180円)以下で生活している人もいる
- 肉や野菜を食べる機会がほとんどない家庭も少なくない
このような環境の中で、ADPの活動は、心理的なケアだけでなく、食料支援を通じて、子どもたちの心と身体の健康を支えている。
*レスリー・エミリア・パウ・ソト・ド・カトゥ(左)、ADP心理士 と ソイラ・イカル・カアル(右)、ADPソーシャルワーカーが、家庭訪問セラピーのために家族のもとへ向かう
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
*ADPのソーシャルワーカーが、アルタ・ベラパスの農村地域で女性と対話
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
「チキチータ」の支援が変えたもの——グアテマラの少女たちの未来へ
ABBAの名曲が支えるユニセフの支援活動「Knock-knock…」は、グアテマラの少女たちの人生を変え続けている。社会に根付く「マチスモ(男性優位主義)」に立ち向かい、暴力や差別の連鎖を断ち切るための取り組みが続いている。
「マチスモ」文化がもたらす問題
ADPでは、ケクチ語(Q’eqchi’)を話せる心理士を雇い、地域に根ざした支援を行っている。
その一人であるレスリー・エミリア・パウ・ソト・ド・カトゥ(Lesly Emilia Paau Soto do Catu)さんは、この地域に根深い「マチスモ(男性優位主義)」の文化について語る。
「男性は『稼ぎ手』として自由に振る舞うことが許され、女性は『家庭を守る存在』と見なされます」。
この価値観の影響で、少女たちはしばしば一人で遠くの畑まで歩いて仕事をしなければならない。
しかし、村の多くには街灯がないため、
- オートバイに乗った男性たちによる襲撃が頻繁に発生
- しかし、ADPによると最も多い加害者は被害者の親族
被害者への厳しい社会の目
この地域では、性暴力の被害にあった少女が妊娠するケースが珍しくない。
それでも、社会の目は冷たく、被害者が責められることが多い。
- ある祖母は、孫娘が暴行を受けたことを知り、「バカだ」と責めた
- 別の母親は、「娘は価値がない」と酷評
「父親は『娘を見ていなかった母親が悪い』と責め、母親は『娘が悪い』と責める」。
パウさんはそう語る。
「この責任のなすりつけは、『マチスモ』によるものです」。
支援の取り組み——「責める」のではなく「理解する」
ADPの心理士や支援員たちは、
- 親が子どもの感情を理解する方法を学ぶ
- 子どもを「責める」のではなく「支える」ことを教える
こうした教育を提供している。
家庭訪問の際、パウさんは泣いている子どもが描かれたラミネートされたイラストを使い、親に子どもの気持ちを理解させる。
また、マルコス・カウェック・チャマン(Marcos Cahuec Chamán)さんの虐待防止クラスでは、
母親たちが「畑で襲われた娘が助けを求める場面」を演じるロールプレイを行ない、適切な対応を学ぶ。
しかし、カウェック・チャマンさんは語る。
「昔は、家族間の会話がほとんどなかったんです」。
貧困家庭では、親が畑仕事に追われ、子どもを学校に通わせられないことが多い。
その結果、子どもたちは感情を表現する機会を持てず、社会的な成長の機会も失われる。
「私の目標は、『愛と尊重に満ちた関係』を築くことです」。
「チキチータ」が生み出した影響
グアテマラ市のカフェでは、「チキチータ」が流れることがよくある。
そして、ユニセフ・グアテマラの代表マヌエル・ロドリゲス・プマロル(Manuel Rodríguez Pumarol)氏は語る。
「もし『チキチータ』がここまで長く愛されなかったら、『Knock-knock…』プロジェクトは存在しなかったでしょう」。
この楽曲の収益は2014年以降だけでも約200万ポンド(約3.8億円)にのぼる。
その資金で、ADPはグアテマラ各地に活動を広げた。
📍 現在の支援地域
- アルタ・ベラパス(Alta Verapaz)
- グアテマラ市(Guatemala City)(2019年開始)
- エスクィントラ(Escuintla)(2019年開始)
- バハ・ベラパス(Baja Verapaz)(2019年開始)
- キチェ(Quiché)(2019年開始)
「チキチータ」が奏でる未来
ABBAの楽曲が生み出した支援は、45年以上経った今も、何千人もの子どもたちの人生を変えている。
「歌の力」が、社会の変革へとつながっているのだ。
*ラ・ティンタで伝統的なケクチ族のスカートを身にまとった女性たち
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
*マルコス・レジナルド・カウェック・チャマンが、地元ラジオでプロジェクトについてインタビューを受ける
📸 写真提供:ジェイミー・フラートン(Jamie Fullerton)。
ABBAの「チキチータ」が残した最高の遺産——グアテマラの子どもたちを救う力
「これ以上の遺産はない。誰もが願う最高のものだ」。
そう語ったのは、ビヨルン。
彼は2022年のBBCのインタビューで、「チキチータ」が生み出した影響についてこう述べた。
2023年の支援実績
ユニセフ・グアテマラの代表、マヌエル・ロドリゲス・プマロル(Manuel Rodríguez Pumarol)氏によると、
📊 2023年の成果
- 1,750人の子ども・若者(性的暴力の被害者)に支援を提供
📊 2024年の成果(現在まで)
- 33,000人以上が虐待防止の研修を受ける
- うち、18,000人以上が子ども・若者
「マチスモ」の文化は変えられるのか?
グアテマラで虐待の根底にある「マチスモ(男性優位主義)」の文化を完全に変えることができるのか——それはまだ分からない。
しかし、ADPの支援を受けた母親の一人は語る。
「ADPの訪問は、私たちの考え方を変える助けになりました」。
彼女は、娘のトラウマからの回復を支援する方法を学んだだけでなく、加害者を地元当局に通報することを決意。
なぜなら、最初の襲撃の後、加害者は母娘を脅迫し続けていたからだ。
ADPの助言を受け、彼女は地元当局へ正式に訴えを提出。
グアテマラでは、性的暴行の訴えが有罪判決につながるケースはごくわずか。
それでも、加害者は脅迫をやめた。
「新しい道を見つけることができました」
さらに、母親は娘を学校に登録することができた。
「私たちは、違う道を見つけることができました。それがとてもありがたいです」。
彼女が話す間、幼い子どもが足元でおそらくかつては車だったであろう、小さなプラスチックのおもちゃを押して遊んでいた——。
「チキチータ」が生み出した支援は、未来を変える力を持っている。